文象沢の産業遺跡

♦文象沢は備前楯山の頂上から流下し庚申川に至る沢ですが、平時は水の涸れた状態です。
♦沢沿いに坑口が3ヶ所存在したが、鉱毒予防工事にて各坑口は密閉された。
♦取水堰と堰堤は、鉱毒予防工事にて造られた。

文象沢の地図500x550(原寸と同じ比) トロッコ道跡 第一堰堤 文象楯入坑 第二堰堤 六十丈大切坑 第三堰堤 太郎坑 お地蔵様 ケルン 石山 山道跡 ♦上掲地図の下線付き文字クリックでリンク先へ移動

(1)文象沢に残る産業遺跡
(2) かつて文象沢沿いをトラバースする道があった
(3) "石山"のトロッコ道跡を歩く

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(1) 文象沢に残る産業遺跡

♦文象沢沿いに坑口が三箇所存在しました。上流側から数えて"太郎坑"、"六十丈大切坑"、"文象楯入坑"の3坑です。鉱毒予防工事命令により、これらの坑口は密閉されました。
♦文象沢の砂防堰堤は鉱毒予防工事命令により造られました。3箇所存在しますが、それぞれの名前が不明ですので暫定的に下流の堰堤から番号を振り分け表記しました。
♦起点の文象橋から、第一堰堤までの詳細は⇒ 起点の文象橋へ

第一堰堤

文象沢堰堤 __第一堰堤(写真:2021/08/11)。

文象沢堰堤 __大きな野面石による空積堰堤(写真:2021/08/11)。

♦文象沢の取水堰と堰堤は、鉱毒予防工事命令書交付により造ることになりました。
<第三回命令書抜粋>
第二十一項 文象沢に於ける従来の捨石は之を扞止するの設備をなし、且つ渓間より流出する雨水は別に山に沿ふて溝渠を設け之を排泄すへし
 (捨石:鉱山や炭鉱で捨てられる価値のない石)
 (扞止:せきとめること)
 (溝渠:水を流すみぞ)

抜粋「広報あしお」
♦ 文象沢第一堰堤:第三回鉱毒予防工事で築造された。
堰堤(直高約18m 法長約22m 天端長約25m 沢幅約12m)は大きな野面石による空積で、石の表面は永い間の大水や風雪により白くきれいに摩耗しているが、ほぼ完全な形で維持している。

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第一堰堤の上流

第一堰堤の上流側 __第一堰堤の上に立つ(写真:2021/08/11)。

第一堰堤の上流側 __赤茶けた捨石に覆われた第一堰堤上流の沢床。
文象沢の堰堤は、従来の捨石を扞止する設備です(写真:2021/08/11)。

第一堰堤の上流側 __第一堰堤上流の沢床(写真:2021/08/11)。

第一堰堤の上流側 __トロッコ用のレール片が落ちている(写真:2021/08/11)。

第一堰堤の上流側 __更に遡る(写真:2021/08/11)。

第一堰堤の上流側 __突如出現、空石積の"文象楯入坑"の護岸工(写真:2021/08/11)。

文象楯入坑

xxxx文象楯入坑__坑口を石で密閉(写真:2021/08/11)。

文象楯入坑中央石片には、"山神山"の文字が刻まれています(写真:2021/10/05)。

文象楯入坑 __坑口前の平地にはトロッコの車軸、車輪、レールが落葉のなかに埋もれていました(写真:2021/08/11)。

文象楯入坑 ___坑口前にある鉄索(索道)用のワイヤーロープ。
ここから上部に延びたワイヤーロープは、"六十丈大切坑"の崖の上で固定されています(写真:2021/08/11)。

 ♦文象沢の坑口跡:沢の上流側から数えて"太郎坑"、"六十丈大切坑"、"文象楯入坑"の3坑が存在した。第五回鉱毒予防工事命令書交付により、これらの坑口は密閉された。
<第五回命令書抜粋>
第十三項 文象沢大切坑口を除く外 文象沢に於ける各坑口を密閉すること

抜粋 「広報あしお」
♦ 文象楯入坑:明治28年1月開坑。
石で塞がれている坑口(内法縦2.5m 横3.8m)はコンクリート枠(幅25cm位)で固められ、・・・。

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文象楯入れ坑の上流

文象楯入坑の上流側__文象楯入坑の上流側(写真:2021/08/11)。

滝滝滝に遭遇右写真は文象楯入坑から約80m上流にある涸滝です。
 写真ではそれ程高くは見えませんが、この滝の両岸は切り立った岩壁なので滝の上に行くのは困難。

 意を決し左から巻き、ようやく滝の上に出ることができました(幅約1m、高さ約5m)(写真:2021/10/05)。
♦涸滝(かれだき):普段は水が流れていないが、水量が増したときだけにできる滝。

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第二堰堤

文象沢第二堰堤 __ 第二堰堤は第一堰堤より小型で、上部の崩壊が著しい(写真:2021/10/05)。

抜粋「広報あしお」
♦ 文象沢第二堰堤:第五回鉱毒予防工事で旧堰堤を雑割石積で覆い修復したが更に崩壊したものである。堰堤の高さは約10mであったことが解る。

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ズリ捨場

ズリ捨場六十丈大切坑 __第二堰堤の上流右側にズリ捨場があり、そのため沢床の幅は1.5m程しかありません。ズリ捨場の裾は蛇籠で押さえられ、斜面は整形されて崩落防止が施されています(写真:2021/10/05)。

六十丈大切坑

六十丈大切坑六十丈大切坑 __ズリ捨場の上は平らになっていて、"文象楯入坑"から上部に延びていたワイヤーロープは崖の上で固定されていました(上左写真:2021/10/05)。
 坑口前にはトロッコの軸受台と鉄板枠が残っています(上右写真:2021/10/05)。

六十丈大切坑 __ 雑石で覆われた"六十丈大切坑" 坑口(写真:2021/10/05)。
鉱毒予防工事命令により密閉されたが、岩盤が崩れているので朽ちた支柱材がわずかに見えます。坑口の底から冷風が吹き出し、文象沢に沿って流れています。

抜粋「広報あしお」
♦ 六十丈大切坑:明治26年5月開坑
坑口の形状は不明であるが縦1.8m 横1.5m位であろうか、・・・

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六十丈大切坑の上流

六十丈大切坑の上流側六十丈大切坑の上流側も大きな石がごろごろしている(写真:2021/10/05)。

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第三堰堤

第三堰堤 __第三堰堤は、高さ、長さ、天端幅ともに第一堰堤より小さい造りの堰堤ですが、天端中央部を約60cm低くした放水路のある構造になっています。

第三堰堤第三堰堤 __堰堤の左側から直登します(上左写真)。
 (上掲写真:2021/10/05)

抜粋「広報あしお」
♦ 文象沢第三堰堤:第五回の命令で旧堰堤を保護するため雑割石(空積)で覆ったもので、形は完全に維持されている。規模は高約12m 天端長約22m 天端幅約5mで天端からの落し約60cmの放水路式となっていて、天端は上流側に巻込みとなっている。当時としては入念な築造方法である。

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第三堰堤の上流

文象沢第三堰堤の上流側 __第三堰堤の上流側も廃石で埋め尽くされている(写真:2021/10/05)。

文象沢第三堰堤の上流側 __今回唯一の秋風景(写真:2021/10/05)。

文象沢第三堰堤の上流側 __第三堰堤の上流左側斜面にズリ捨場。
沢床に接する下の部分は浸食されている(写真:2021/10/05)。

太郎坑 (太良坑)

太郎坑 __右側の岩壁5m程の高さの所にコンクリート基礎があり、その奥に"太郎坑"坑口跡があります(写真:2021/10/05)。

太郎坑 __"太郎坑"の坑口も "六十丈大切坑"と同様に雑石が詰まっています。
そしてまた "六十丈大切坑"と同様に坑口の底から冷風が吹き出し、文象沢に沿って流れています(写真:2021/10/05)。

太郎坑太郎坑 __"太郎坑" 坑口から右に15m程離れた所に、岩をくり抜いた火薬庫があります。枠は緑青で真っ青です(上左右写真:2021/10/05)。
♦緑青(ろくしょう):銅の表面に生じる緑色の錆(さび)。有毒とされてきたが、ほとんど無害。

抜粋「広報あしお」
♦ 太郎坑:明治26年9月開坑。
木村太郎吉が開坑したところからその名がつけられた。
坑口は削岩したままで雑石が詰められている。坑道の大きさは縦1.5m横1.2m位であろうか。

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(2) かつて文象沢沿いをトラバースする道があった
    ( 太郎坑 ⇔ 石山 )

かつて簀子橋 ⇔ 三吉転峠 ⇔ 小滝を結ぶ山道がありました。
今回、太郎坑から石山への山道跡を歩いてみます。
 地図からの情報では、等高線に沿って水平に続いている筈の山道跡を辿れば良さそうです。が、そうは問屋が卸しませんでした。
 第五回鉱毒予防工事(明治36年)により文象沢の各坑口は密閉されました。それ以来、人の往来は途絶えてしまい、山道跡はほとんど残っていなかったのです。
♦かつての山道は、傾斜が急な山腹を横切っているので、山側から流れ込む雨水により、道の痕跡が消滅して自然に帰ってしまった。
♦かつての山道は、落石や斜面崩壊により路肩(谷側)が崩れてしまい、山の斜面と一体となってしまった。

‹ 抜粋 ›
…足尾銅山の開発の進展による小滝方面への道程は、現在の通洞駅裏の渋川を遡り、その左手の天狗沢から奥水山、備前楯山に連なる尾根筋の鞍部である三吉転がしを経て文象沢に下り、庚申川に出ることであった。
…しかし、この通路は、恒久的な生活道路とはなり得なかった。小滝坑の盛況に呼応して新たな道路の取り付けが図られることになる。その道路は、遠下のはずれの渡良瀬川と庚申川の合流点から、庚申川に沿って切り立った渓谷を遡って銀山平に至る道で、現在の道路の原型となった。
村上安正(2000)『足尾に生きたひとびと』随想舎

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文象沢沿いに残る山道跡

文象沢に残る古道 __山道取付点(写真:2021/10/05)。
 太郎坑の対岸(文象沢右岸)には、かつて小滝地区と盛んに往来したであろう山道跡が、かすかに残っています。上掲写真のように取付き点の山腹には、土留め対策の石垣が残っています。
 ここからは多くの人が往来したであろう山道跡を進みます。山道と言っても地図記号の破線表示もない道、つまり道なき道を進む訳です。

文象沢沿いに残る古道

文象沢に残る古道 __山腹の崩壊で踏み跡も薄くなり、自然に戻りつつある沢沿いの山道が続きます(写真:2021/10/05)。
 沢沿いの道は雨水が流れる山腹のザレ場を横切っているので、常に崩壊の危険にさらされています。 実際、雨水によって山腹は、えぐり取られています。
 細心の注意を払うため、カメラをザックの中に押し込んで歩いた為以後、お地蔵様以外の写真はありません。
♦沢沿いをトラバースする道:沢沿いの道は、いつも沢の流れに近いところを通るとは限らない。ときには沢から数百メートル上を沢と平行して通ることもある。
♦トラバース:山腹や谷の斜面を水平に横に進むこと。
♦ザレ場:砂や土状が主体の崩壊斜面(山腹崩壊地)。砂や小さな岩屑によって滑りやすい場所のため、四つん這いになって「体幹」を安定させて歩く必要があります(私感)。

石のお地蔵様

お地蔵様お地蔵様 __上右写真は傾斜の緩やかな山腹に残る土留め対策用の石垣です。
 その平らなスペースの一角に、ひっそりと立つお地蔵様(上左写真)。
 その黙して立つお地蔵様に向き合い、山腹トラバースの無事を祈り願いました(上左右写真:2021/10/05)。

お地蔵様お地蔵様 __左写真は、かつて多くの人が往来したであろう山道に立つお地蔵様。お地蔵様の頭部は修復した跡があります。
 右写真は、お地蔵様が安置されている祠跡、朽ちた鉄製の賽銭箱がありました(左右写真:2021/10/05)。
   " 爽やかや石山奥の地蔵尊 " とおる

‹ 抜粋 「広報あしお」 ›
 このお地蔵様は、木村勝蔵が語った "直利子育て地蔵"であり毎年秋になると盛んにお祭りをしたとも語られている。

ケルンここまでの道筋では、進路を示す赤テープなどはありませんでした。が、突然目の前にコース・サインの代表的存在 "ケルン" が、目の前に立ちふさがりました。 2・3個の石を積み上げただけのケルンですが、私にとっては道路標識の「止まれ」と同様に強い意思表示を感じました。

ケルンの奥を恐る恐る覗き込むと断崖絶壁です。

 ここは一旦落ち着いて周囲を見回し、左下の斜面をジグザグに下りることにしました。そして、崖下のザレ場にたどり着くことができました。
 さらに気合いを入れ、恐るべき山腹の砂礫地を四つん這いになって横切りました。
 この後も同様に、山腹トラバースで石山に向かいますが、ここからはGPSに登録済みの目的地 "石山(切通し)" のポイントを頼りに、歩くだけです。
♦ケルン:道しるべのために石を積み上げ、分岐点などを示す石山。

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(3) "石山"のトロッコ道跡を歩く

 "小滝の里"と "文象沢"の間の尾根を "石山"と呼ぶようです。その"石山"の尾根、高度800m付近に大きな岩が2個有り(切通し)、その間を通り抜ける山道があります。
 幅が2メートル程もあるこの山道は、790〜800mの等高線に沿って "文象楯入坑"まで延びてます。500m程水平に続くこの道は、トロッコの道跡かと思われます。この道を東北東方向に水平に進めば、"片マンプ"を通過して "文象楯入坑"に到着します。

石山 (切り通し)

トロッコ道 __上掲写真は "石山 (切通し)"です。写真の切通しの奥側は、"小滝の里" 方面です(写真:2021/08/11)。
 ここからの水平な道を東方向に500m程辿れば "文象楯入坑"にでます。
♦切り通し:尾根と交差する形で掘り下げて、通れるようにした箇所。

片マンプ(片隧道)

トロッコ道 __上掲写真が片マンプ。岩壁の側壁を削って片トンネルにして、トロッコの軌道を敷設した跡です(写真:2021/08/11)。
  この片マンプは、写真からも分かるように文象沢側が崩れ落ちているので道幅が狭いです。ここは気を引き締めて、念には念を入れ、且つ又、慎重に通り抜けましょう。ここを無事に通過すれば直ぐに "文象楯入坑(廃坑口)"にたどり着きます。
♦片マンプ:岩盤の側壁をの形に削り取って造った半トンネル。
⇒ 笠松片マンプへ

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 『明るい町』編集部(2000)『町民がつづる足尾の百年 第2部』光陽出版社
  • 足尾町役場企画課(1990)『広報あしお 縮刷版』
  • 広報あしお(平成17年1・2・3月号)『足尾の産業遺跡(38)(39)(40) 小滝文象沢三坑』足尾町役場
  • 筑波大学生命環境科学研究科環境科学専攻『平成26年度環境科学実習(足尾実習)報告書』
  • 村上安正(2000)『足尾に生きたひとびと』随想舎

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