足尾山塊の最高峰、皇海山(2144m)

庚申山展望台から皇海山 庚申山の展望台に着くと、朝日を浴びた皇海山が目の前に現れました(写真:2014/10/26)。
 ここからは、皇海山までの縦走コースを見渡すことができます。
 写真手前から奥に延びた尾根の先端が鋸山です(遠景左のピーク)。鋸山から右に分岐した尾根の鞍部が不動沢のコル、そして皇海山(2144m)がそびえています。また鋸山から左に分岐した尾根上には六林班峠があり、袈裟丸山へ続きます。
♦庚申山展望台からの皇海山
 それでは第一峰の庚申山から第十二峰の皇海山奥の院まで、修験者になったつもりでノコギリ連峰を伝い歩き、庚申山の奥の院を目指しましょう。「六根清浄、お山は晴天。六根清浄、お山は晴天。」
♦三山がけの信仰登山
 皇海山は、庚申山の奥の院として江戸時代からの信仰登山の対象で、庚申山から鋸連峰を縦走し、鋸山(剣ヶ峰)、皇海山の三山駈(駆)け登山が行われたそうです。

♦皇海山(すかいさん)が名称の由来にもなった苺、スカイベリー
 スカイベリーは平成26年11月18日に品種登録された栃木県産の苺で、名称は公募により名付けられ、「大きさ、美しさ、おいしさ」の全てが大空に届くような素晴らしいいちごという意味が込められ、栃木、群馬県境にある百名山の一つ皇海山にもちなんで名付けられました。マウスロールオーバ時に変化する上掲写真がスカイベリーです。

( 抜粋 : 足尾郷土誌 )
 この皇海山に登山がはじめられたのは、江戸中期から庚申山の奥の院として、鋸山、皇海山と三山がけの信仰登山がおこなわれるようになってからだといわれている。…(省略)…35年の深田久弥の皇海山登山記による皇海山紹介、地元山岳会による登山路の開拓整備等により、本格的登山地として一躍注目されるようになり、多くの人々が訪れるようになった。
♦ 製作所に勤めていた方の回想文 (昭和4年(1929)生まれ) ♦
 …(前文略) そのうちに同じ職場に山仲間もでき、製作所と足尾機械の山好きを集めて「 ECHO (エコー) 」というグループを作りました。 …(中略)… 足尾の皇海山は名山として有名ですが、未開拓で、庚申山から皇海山までのハイキングコースを作ろうと、足尾山岳会として取り組んだのです。毎週のように土曜日、会社を終えてから舟石峠越えで庚申山山荘へ、翌日は皇海山までの道路作りです。それは大変でしたが、庚申 - 鋸 - 皇海とたどる良さは、全国にも誇れるでしょう。(後略)…
『第2部 町民がつづる足尾の百年』からの抜粋

皇海山百名山に選ばれその名を知られるようになった山ですが、『日本百名山』での行程は、皇海山の奥深さを感じさせる鋸連峰縦走ルートのため、その頂に至る道はあくまでも険しくて遠く、時間もかかります。
 庚申山荘一泊、翌朝早発ち、皇海山往復で、その日の下山か、または『日本百名山』での計画のように、二日目も庚申山荘へ泊まり、三日目に下山する計画なら楽しい山行が約束されます。

♦深田久弥著 『一日二日の百名山』紀行でのコースタイム
昭和35(1960)年
 5月2日 午前5時30分浅草駅発 ⇒ 午後5時過ぎ庚申山荘着、泊。
 5月3日 午前6時庚申山荘発⇒
         ⇒午前11時40分鋸山山頂着⇒
         ⇒午後2時35分皇海山山頂着⇒
         ⇒午後7時六林班峠の上へ出る⇒
         ⇒午後11時庚申山荘着、泊。

皇海山
 第一峰と第二峰との間のコブの上に立った時であった。私たちは息を呑んで眼を見張った。すぐ眼の前に、皇海山が思いがけぬ大きさで立っていたからである。
「脱帽ものだね」
 日高長老の言を待つまでもなく、私たちは帽を取って一揖(いちゆう)した。おのずから頭がさがるほど、それは堂々としていた。さすが皇海は私たちをあざむかなかった。来た甲斐があった。…(省略)…。
深田久弥 『一日二日の百名山』 からの抜粋
♦上記の 「コブの上」 とは、庚申山の展望台でしょうか。

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庚申山荘から庚申山-鋸山-皇海山

庚申山山頂第一峰(庚申山)庚申山荘を早朝に出発する。途中背後から朝日が昇ってきました。小休止を兼ねて写真を撮りましょう。
♦背後から太陽が昇る
 息を切らして庚申山(1892m)山頂にたどり着きましたが、眺望は樹木にさえぎられ、あまり芳しくありません(上右写真:2008/06/14)。
 山頂から2〜3分ほど北西へ進むと、下の写真のように展望が開けます。

庚申山山頂からの展望♦展望台からは皇海山の全景はもちろんのこと、縦走路の確認もできます。皇海山の左は鋸山で、六林班峠に至る尾根が続きます(上写真:2008/06/14)。

庚申山展望台から皇海山♦庚申山展望台から皇海山(写真:2008/06/14)。

‹ 抜粋 : 日本百名山 ›
 初めて近くから眺めた時、その横がつまって、颯爽と峰頭をもたげ、一気に下の沢まで落ちている姿は、思わず脱帽したいほどの気品をそなえていた。
♦初めて近くから眺めた場所とは、庚申山の展望台でしょうか。

御岳山付近から皇海山 第二峰(御岳山)庚申山から西に続く尾根を下って行くと第二峰•御岳山に出ますが、御岳山は等高線が丸く閉じない隠れた小ピークですので気付かずに通過してしまいました。
(写真:御岳山付近から皇海山:2014/10/26)
♦隠れピーク : 地形図(1:25,000)の等高線の間隔は10メートルですので、10メートル未満の小ピークは地形図に示されない。ここではこの小ピークを隠れピークと表記します。

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駒掛山 第三峰(駒掛山)御岳山を過ぎて更に下るとササの茂ったコル(1750m)にでます。この付近は、三才沢の源頭にあたります。このコルから登りきったピークが、第三峰•駒掛山(1808m)です。
(写真:2014/10/26)

渓雲山山頂 第四峰(渓雲山)駒掛山から西に高低差30m程ササの茂った鞍部に下り、20m程登りかえしたピークが第四峰の渓雲山(≒1800m)です(右写真:2014/10/26)。

第五峰(地蔵岳)渓雲山から西に130m程離れた小ピークが第五峰•地蔵岳(≒1810m)です。この小ピークは次に続く尾根に吸収されているので気づかずに通過してしまいました。

薬師岳山頂1977年の薬師岳山頂 第六峰(薬師岳)地蔵岳より標高差で100m程高く、450m程離れた北西に位置するピークが、第六峰•薬師岳(≒1910m)です。
 ここからノコギリの刃の様なヤセ尾根が鋸山まで続くので、高所恐怖症の私の心は大変心細い状態です。ここからコルに下り、白山に進みます。
(左写真:1977/11/23)(右写真:2014/10/26)

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白山山頂から松木川源流の紅葉白山山頂 第七峰(白山)第七峰•白山は松木側へ切れ落ちている岩峰で、等高線が丸く閉じない隠れた小ピークですが見晴らしが良く、北には、笠ヶ岳、錫ヶ岳、白根山などが展望できます。
(左写真,山頂名板:2014/10/26)
 眼下に広がる松木川源流域の紅葉も見頃でした(右写真:2014/10/26)。
 この七峰(白山)と八峰(蔵王岳)間は、野猿谷と呼ばれている岩稜です。特に鞍部の北面は足を踏みはずさないよう足元に気をつけて。

白山山頂から三俣山方向♦白山山頂から三俣山方向( 写真 : 2014/10/26 )

蔵王岳山頂蔵王岳から鋸山 第八峰(蔵王岳)
 野猿谷(やえんだに)を通過し登りきったピークが蔵王岳(≒1940m)です(右右写真:2014/10/26)。
 山頂からは、鋸山へつづく尾根が険しくそそり立っているのが一望できます。
 左の写真は、蔵王岳山頂からの展望で、右奥の山は鋸山、左奥の山は剣ノ山、手前中央のガケ山が次に登る熊野岳です(左写真:2014/10/26)。
 クサリやハシゴそして岩壁をトラバースしながらのアップダウンコースが続くので、まだまだ気を抜くことはできません。ロープが張られた中段まで登ったところから左の樹林帯へ回りこんでさらに登ると熊野岳(9峰)に立つ。

熊野岳から蔵王岳を写す蔵王岳から熊野岳 第九峰(熊野岳)左の写真は、蔵王岳山頂から見た第九峰•熊野岳です。手前中央のガケ山が第九峰•熊野岳で、右後方の山が鋸山、左後方は剣ノ山です。
(左写真:2014/10/26)
 その急勾配の熊野岳直下から、ちょっと振り返って見ましょう。
 展望は良く、たった今通過した蔵王岳が、目の前に大きくそびえていました。
(上右写真,熊野岳直下から振り返り蔵王岳を見る:2014/10/26)
 熊野岳は等高線が丸く閉じない隠れ小ピークですが、急勾配のガケ山なので、高所恐怖症の私にとっては、必死の覚悟が必要でした。
 この第九峰から先も両側が切れ落ちた稜線が続くので、滑落しないように慎重な登攀が必要でした。

剣ノ山山頂 第十峰(剣ノ山)熊野岳から少し下り、岩峰を登りきったピークが第十峰•剣ノ山(≒1980m)です(写真:2014/10/26)。
 第十峰から下った所が、蟻地獄の険と呼ばれるヤセ尾根の鞍部です。特に北側は岩壁に食い込む急な沢が、松木川側に落ちています。この蟻地獄の険から登って隠れピークを越すと、やれやれ、やっと鋸山山頂にたどり着きました。

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鋸山山頂1977年の鋸山頂 第十一峰(鋸山)松木川源頭絶壁の頂点が、第十一峰•鋸山(1998m)の山頂です。
 やっとたどり着いた山頂も絶壁となって切れ落ちているので、展望は良好です。そのうえこれから登る皇海山は、すぐ手が届くところで待ってます。
(左写真:1977/11/23)(右写真:2014/10/26)
♦鋸山からの眺望

皇海山
 皇海はすぐ真向かいにある。真向かいとは申せ中間が深く落ちているので、見たところは遠い。その山に特別の思召(おぼしめし)を持たない限り、たいていの人は鋸の頂上でそれを眺めただけで、引返したくなるだろう。皇海山が秘峰として静かに保たれているのは、確かにこの遠さにある。エーデルワイスの女性たちも皇海をあきらめて六林班峠の方へ下ったらしい。
深田久弥 『一日二日の百名山』からの抜粋

不動沢のコルから鋸山不動沢のコル鋸山直下の急斜面を下り、二つの小ピークを過ぎれば不動沢のコルに到着します。このコルからは不動沢コースと合流するので、多くの登山者で賑わっています。
 歩いてきた鋸山の峰々を振り返り見上げると、それはまさにノコギリの刃の連なる鋭峰、鋸連峰でした。
(右写真:2014/10/26)
♦不動沢コース:皇海山登山のもっとも一般的なコースで、日帰り登山が可能なコースとして多くの登山者が利用しています。

皇海山山頂第十二峰(皇海山)不動沢のコルから皇海山へは、標高差約280mの登りとなります。コルから先は危険な箇所が無く、ぐいぐいどんどん登って行けます。
 青銅の剣を過ぎ、すこしゆくと山頂に出ます。山頂は開けていますが、展望は樹木の陰に隠れあまり良くありません(右写真:2014/10/26)。

皇海山
 頂上に立ったのは二時三十五分、四人は喜びの握手を交わした。木暮さんの紀行では、四方の開豁な眺望が得られたとあるが、それから四十年たって周りの木が成長し、私たちの得た山頂は黒木に眼隠しされた静寂な小平地であった。そこに据えられた三角点の標石を、古沢君はやさしく掌で撫でた。その仕種は私たちの気持ちを代表していた。今日、五月三日、この快晴の祭日に、日本中の主な山の頂は山の好きな連中によって占められただろう。そして皇海山、君もまた例外ではなかった。私たち四人にだけ頂上の喜びを与えてくれた。
深田久弥 『一日二日の百名山』からの抜粋

地蔵岳から鋸山、庚申山、皇海山♦皇海山と鋸連峰(写真:2015/03/27)。

♦ 青銅の剣 ♦
 皇海山に唯一つ信仰登山の足跡を残しているのは、山頂直下に建っている青銅の剣である。「庚申二柱大神当山開祖木林惟一」と刻まれているが、年号がなく… (省略)
(省略)この剣については、足尾町発行の「足尾ところどころ」、あるいは木暮理太郎氏の「皇海山紀行」の中に詳しく書かれているが、それによると、東京の庚申講中の先達者木林惟一氏が信仰登山を再興しようとして、庚申山から皇海山までの道を開き、皇海山を奥の院として山頂東方に青銅の剣を奉納したということである。(省略)
(省略)そこで、剣について何か手掛りになるものはないかというので、井波氏の依頼を受けて皇海山の剣をわざわざ調査に行った。(省略)我々の報告を受けた井波氏は根利山会の会報「皇海」第18号に次のような記事を書いているので紹介してみよう。(省略)(前文略)先ず建設年月日はあれだけ立派な剣を奉納したのにどこにも刻んでありません。細部について寸法測定をしたり、材質調査をしたりしましたが、どこにも見当たりません。最後に剣の裏側の汚れを拭いて見ると達者な筆書きで、『明治二十六年七月二十一日』というのが読み取れました。その隣りに字(氏名と思われる)がありましたが判読出来ませんでした。この年月日は剣を建てた時に書かれたものか、又は後日登山した人が書いたものか確認出来ません。(中略)(省略)
岡田敏夫『足尾山塊の山』からの抜粋

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鋸山から六林班峠経由庚申山荘

鋸山から六林班峠帰路は鋸山から六林班峠経由で庚申山荘へのコースを歩きます。山頂からは県界尾根を南下します。このルートは鋸連峰を東に縦走して庚申山に至る岩稜ルートと比較して、恐ろしい岩場や痩せ尾根はありません。しかしササが深くて、道迷いを引き起こす可能性が大きく、当人にとってはたいへん心細くなる場所で、これまた恐ろしいルートです。稜線を外れるとササ丈はさらに高く背丈にも達し、藪漕ぎが困難になります。女山(1835.9m)の小ピークを過ぎると六林班峠です。

六林班峠と根利山の架空索道図六林班峠小高い丘のような女山の小ピークを過ぎると、六林班峠です。そこから100メートルほど北東の方角へ戻り、それから稜線を離れ東の方向に進みます。
 遠回りの訳は、そもそも六林班峠は伐採した木材資源を群馬県砥沢集落から県界尾根を越えて銀山平まで運ぶ為に造られた峠ですので、鋸山登山ルートとは少しずれているのでしょう(上掲図参考)。
 それにしても六林班(ろくりんぱん)峠とは聞き慣れぬ名称ですが、森林の番地がそのまま峠の呼び名となったのでしょう。
♦林班(林班界) : 尾根や谷などの地形及び大字や小字によって区切られた区域の単位で、おおよそ50ヘクタールの広さです。森林計画作成資料として使用される森林計画図 (林班の区域を示した地図)には、1,2,3,4,5,6,…と、数字で林班が表記されています。

♦ 銅山を支えた根利山の資源 ♦
 かつて、足尾の町に隣接する皇海山の麓に40年間だけ存在した集落があった。(省略)
 栃木県と群馬県の県境には、深田久弥が「日本百名山」のひとつに選んだ標高2143メートルの皇海山がそびえている。根利(ねり)山はその西麓一帯の通称である。(省略)
 明治31年(1898)、その群馬県根利郡赤城村砥沢(とざわ)に古河の根利林業所が開設された。(省略)
 根利林業所の主要目的は、山奥から伐採した用材を足尾・小滝地区にある銀山平製材所まで県境の山々を越えて運搬することであった。その手段としては、すでに足尾で敷設して手慣れている索道(空中ケーブル)輸送を選択することとし、(省略)
 明治35年の開設当時は銀山平から六林班峠の群馬県側にある権兵衛までで、37年に砥沢まで延長された。(省略)
 根利山での伐採が終るのは昭和13 (1938) 年で、その翌年、林業所は閉鎖された。
小野崎敏『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』からの抜粋

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1977年の樺平 六林班峠から樺平小さな沢を数回渡り、鋸連峰の南面に付けられている踏み跡を辿りながらゆるやかに高度を下げていきます。小さな沢は登山道を横切っているので、登山道が寸断されています。対岸が崩れているときは渡る前に、対岸の登山道または取り付き点を確認してから沢に下りれば道を見失いません。
 六林班峠と庚申山荘の中間に位置する三才沢を渡って1.3キロメートルほど進むと、庚申山を背にした樺平(かんばだいら)と呼ばれる高原に出ます。上掲写真のようにカンバの林ですが、傾斜が少なく架空索道停車場の近くだったこの辺りには、かつて人家が存在したのでしょうか(写真:1977/11/23)。

皇海山
 峠から庚申山荘までは長かった。初めの間ずっと、歩きにくい雪道を辿って行く。道は山腹を縫うように続いている。すっかり暮れて暗くなった中で、幾つも枝沢を渡ったり、深い林の脇を通り抜けたりした。おくれたついでだ、私たちは急がずゆっくり歩いて行った。山荘へ越える最後の登りにかかる手前の、昼間だったらさぞ気持ちの良さそうな所に思われる原で、私たちは長い休憩を取った。
深田久弥 『一日二日の百名山』からの抜粋
♦「昼間だったらさぞ気持ちの良さそうな所に思われる原」とは、樺平のことでしょうか。

旧庚申山荘庚申山荘 樺平⇒庚申山荘
 樺平を過ぎカラマツ林の銀峯尾根を回りこめば、天下の見晴らし分岐点に出ます。
 ここまで来ればもう庚申山荘に着いたも同然です。
(左写真,庚申山荘:2008/6/14)
(右写真,旧庚申山荘:1977/11/23)
♦庚申山荘:標高1550mに位置し、外装は杉丸太の木造二階建て。内装は、広間(15畳) • 管理人室 • 炊事室 • 収容人員38人。オープンは昭和61年(1986)4月。
♦旧庚申山荘:オープンは昭和23年(1948)10月。
♦緑の木々におおわれた夏の庚申山荘
♦天下の見晴らしから庚申山

♦皇海山登山のコースタイム
銀山平コース
 銀山平⇒70分⇒一の鳥居⇒80分⇒庚申山荘⇒
 ⇒70分⇒庚申山⇒140分⇒鋸山⇒90分⇒皇海山⇒
 ⇒80分⇒鋸山⇒60分⇒六林班峠⇒
 ⇒150分⇒庚申山荘⇒70分⇒一の鳥居⇒60分⇒銀山平
皇海橋コース
 皇海橋⇒120分⇒不動沢のコル⇒60分⇒皇海山⇒
 ⇒40分⇒不動沢のコル⇒90分⇒皇海橋

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栃木県 山のグレーディング

 栃木県内の主要な登山ルート(82ルート)について、体力度と登山道の難易度で評価された山のグレーディング一覧表が栃木県山岳遭難防止対策協議会により平成29年7月に作成されました。
(以下抜粋)

栃木県 山のグレーディング(足尾地域7ルート)
通番 山岳名 ルート 体力度 難易度
21 黒檜岳 千手ヶ浜→黒檜岳(往復)
25 庚申山 銀山平→庚申山荘→庚申山(往復)
34 社山 中禅寺•立木観音→阿世潟峠→社山(往復)
37 皇海山 銀山平→庚申山→皇海山→六林班峠→銀山平 (※4)
52 中倉山 銅親水公園→中倉山(往復)
65 半月山 中禅寺温泉→茶ノ木平→半月山→半月峠→狸窪→立木観音→中禅寺温泉
67 備前楯山 銀山平→舟石峠→備前楯山(往復)

(※4) ルート中に宿泊施設はありますが、宿泊施設からの行程が長く、登山者によっては日没までに下山できなくなる恐れがありますので御注意ください。
♦体力度: 歩行時間、延長、累積登り • 下り標高差により算出し、1から10の10段階で評価しました。(82ルート中の最大体力度は、皇海山の7)
♦技術的難易度 : 登山ルートの地形上の特徴や必要技術 • 能力から技術的難易度を定義し、AからEの5段階で評価しました。 (82ルート中の最大技術的難易度は、皇海山のD )

平成29年度登山ルートグレーディング一覧⁄栃木県山岳遭難防止対策協議会
平成30年度登山ルートグレーディング一覧⁄栃木県山岳遭難防止対策協議会

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 足尾町郷土誌編集委員会(1978)『足尾郷土誌』
  • 岡田敏夫(1988)『足尾山塊の山』白山書房
  • 小野崎敏(2006)『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』新樹社
  • 深田久弥(1964)『日本百名山』新潮社
  • 深田久弥(2000)『一日二日の百名山』河出書房新社
  • 増田宏(2008)『皇海山と足尾山塊』白山書房

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 ▽ページ内リンク
第一峰•庚申山
第二峰•御岳山
第三峰•駒掛山
第四峰•渓雲山
第五峰•地蔵岳
第六峰•薬師岳
第七峰•白山
第八峰•蔵王岳
第九峰•熊野岳
第10峰•剣ノ山
第11峰•鋸山
不動沢のコル
第12峰•皇海山
六林班峠
グレーディング