足尾銅山採鉱の主要地域、備前楯山(びぜんたてやま)
備前楯山
足尾の山といえば備前楯山でしょう。足尾小学校の校歌のなかにも歌われています。上の写真では左端に位置するピークが備前楯山で、中央が備後楯山、右端に位置する大きなピークが南備後楯山です。
(三吉転がしの上部尾根筋から撮影: 2007/11/17 )
右の写真で、奥に横たわる稜線中央部二つのピークを持つ山が備前楯山(1272m)で、左に連なる稜線のピークが石垣山(1106m)です。石垣山は本山小学校の裏に位置する山で、児童たちの守り神としての存在感がありました。
(写真:2009/10/12 備前楯山の北面)
舟石峠からの登山舟石峠からの登山は、他のコースと比べると標識は有るし、最も安全で最短な登山コースです。舟石峠駐車場から、1時間足らずで頂上に着きます。右の写真は、舟石峠駐車場からの備前楯山です(写真:2011/05/15)。
その他のコースでは標識は無く、痩せ尾根は有り、道に迷うと危険な場所もあるので充分注意してください。右の写真は、舟石峠駐車場からの備前楯山です(写真:2008/03/30)。
(舟石峠登山口の現地案内板の一部引用)
備前楯山(1273m)は、足尾町の中央に位置する山で、かつての足尾銅山採鉱の主要地域として有名です。
慶長15年(1610年)、備前国出身で当時の足尾郷の農民であった治部(じふ)と内蔵(くら)がこの山で露頭している銅鉱石を発見し、日光座禅院座主に報告しました。
座主は二人の功績を記念して、この山を農民の生れた国の名前をとって『備前楯(びぜんたて)』と名付けました。
楯:銅鉱脈の露頭のことです。環境庁 栃木県
その他の登山コース
有越経由ルート
通洞駅と足尾歴史館の中間地点から登り始める。このルートの所要時間は写真撮影をしながらの余裕ある登山ペースで頂上まで約四時間かかります。
(写真左:簀子橋堆積場の一部、遠方中央は赤倉山: 2007/11/17)
(写真右:第二渡良瀬川橋梁が眼下に小さく見える: 2007/11/17)
有越山(1025m)、奥水山(1114m)、小水山(1095m)、三吉ころがし峠、備前楯山(1272m)の稜線を縦走しながらの登山です。
下山の時は絶対に稜線から分岐している支尾根のほうには下りないでください。絶壁と崩れた岩山で下りられません。私は下りで尾根筋を一つ間違えて、簀子橋(すのこばし)堆積場尾根筋に出てしまい痛い目にあいました(2007/11/17)。
鉄索第三ステーション跡は第二ステーション跡から20分程登った所にあります(2007/11/17)。
下りも同じコースの計画(往復登山)ですので水筒(ペットボトル)を一時置いて(デポ)、頂上を目指しました。しかし上記のように下りで尾根筋を一つ間違えてしまい、水筒とは二度とめぐり合えませんでした。
備前楯山頂から

山頂からの展望足尾銅山発見地が備前楯山で、鉱床の大半がこの山にありました。標高は、1,272mです。
左写真の左側が製錬所全景で右上側が龍蔵寺です(写真左 2007/11/17)。
右写真中央奥は名峰男体山、その左右に控える山は社山、半月山(写真右 )。
深田久弥氏が1964年に発表した『日本百名山』は第16回読売文学賞を受賞し、登山愛好家だけでなく多くの人たちに愛読されています。(その著書内 "白山"の項目 引用 ・・・日本人は大ていふるさとの山を持っている。山の大小遠近はあっても、ふるさとの守護神のような山を持っている。・・・)
さしずめ足尾のふるさとの山は、備前楯山でしょう。
備前楯山に関する思い出
有越鉄索塔跡選鉱場から出る廃泥を堆積場へ運搬する鉄索です。索道のことを足尾では鉄索と呼んでいました。現在は塔などの基礎部分のみが残っています。
有越山登山コースでは写真の鉄索塔の東側を通りますが、登山コースからは見えません(撮影:2008/01/04)。
小学3•4年のころ写生の時間に鉄索を描いた事がありました。子供心にも うまく描けたと思い得意げに兄に見せると、鉄索のバケットを指さして茄子がぶら下がっていると茶化された記憶があります。
その兄がかいた製錬所のスケッチ画です。
足尾小学校校歌歌詞の最初に備前楯山が出てきます。小学生の時に歌った時は女子生徒が「私たちは」を歌い「僕たちは」を男子生徒が歌っていました。
小学4年生の冬の夜に、小学校が全焼するという大災害が起きてしまいました。中学校の仮校舎で授業を受けていた5年の時に、父の退職に伴い足尾を離れました。私のふるさとの山は、備前楯山です。
♦足尾小学校校歌
備前の楯の空はるか 希望の瞳かがやかせ
私たちは 僕たちは 明るくつどい学びゆく たのしい足尾小学校