ロゴマーク足尾の風景

庚申山(Ⅰ)

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庚申山(Ⅰ)

 庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。

コウシンソウの自生地

 自然に恵まれた足尾は植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されているコウシンソウは足尾を代表する植物といえます。

⇒ フォトギャラリー/庚申草

◎ 銀山平からの登山コース ◎

(A)銀山平 ⇒ 70分 ⇒ 一の鳥居
(B)一の鳥居 ⇒ 80分 ⇒ 猿田彦神社跡
(C)庚申山荘
(D)庚申山荘 ⇒ 70分 ⇒ 庚申山

概 況

01. 中倉山からの眺望

庚申山
(写真:2009/10/12)

 庚申山は足尾西部に位置する標高点1892mの山です。
 写真では、中央奥の山が庚申山です。
 右奥は皇海山で、庚申山と皇海山の手前に位置する山はオロ山。
 左に位置する大きな山はトウノ峯で、右斜面は沢入山です(写真:2009/10/12)。

02. 山荘からの眺望

庚申山
(写真:2010/10/23)

 庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。
 写真は庚申山荘からの展望で、眼前に展開するは、庚申山の南東面 "お山巡り"の崖です。
(写真:2010/10/23)

『関東の山水』 (明治四十二年出版) 大町桂月 著
"第四章 野州の山水 第二節 庚申山 (九)細尾峠の紅葉"の章
‹ 抜粋 ›
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」 といふ庚申山に對する俗諺あり。庚申の如き霊奇の山を一度も見ざるものは、馬鹿也。されど、危険きはまる山なれば、二度とゆくは馬鹿なりとの意也。われは、その二度見る馬鹿となりけるが、閑と錢とあらば、なほ三度見ることを辭せざる也。
(以下は、つたない解釈です)
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」という、庚申山にたいすることわざがあります。庚申山のような神秘的で不思議な山を一度も登ったことのない人は不幸です。しかし、この上なく危険な山だから、決して二度登ることは考えられないという意味です。わたし自身は二度登るという無鉄砲なことをしてしまったが、もし時間と金銭の都合がつけば、更に三度登ることにやぶさかでない。

♦大町桂月(オオマチケイゲツ):明治2年(1869-1925)高知市生まれの紀行作家、評論家。
♦深緑に包まれた庚申山荘

(A)銀山平 ⇒ 70分 ⇒ 一の鳥居

03. 銀山平

駐車場
(写真:2013/05/04)
舟石林道手前の駐車場
かじか荘前
(写真:2010/09/04)
かじか荘前の三山標柱

 銀山平キャンプ場および国民宿舎 "かじか荘"のある銀山平が、登山の起点となります。
  かじか荘前の "足尾三山標柱" から "一の鳥居"までは、庚申川に沿って続く4kmほどの庚申渓谷林道を歩くことになります。
♦銀山平:明治24年に銀が採掘され、明治35年には廃石が運ばれて平地ができたので銀山平とした。銀山平には、国民宿舎、猿田彦神社、旅館、中国人殉難烈士慰霊塔 が散在する。今はキャンプ場として多くの人に利用されています。
♦銀山平キャンプ場

04. 坑夫滝

坑夫滝
(写真:2010/07/19)
あああ
(写真:2007/09/02)

 庚申渓谷は深い崖を刻んだ急峻な地形の中を数多くの滝が連なっています。
 その中で庚申川を代表する滝といえば "坑夫滝"でしょうか。
 横置きの写真は現地案内板ですが、「悲話を秘めた坑夫滝(光風の滝)」 と記されています(横置き写真:2007/09/02 )。
 この滝にどのようなエピソードがあるのか、大変興味深いものです。

" いにしえのことは沈黙坑夫滝 " とおる

 "坑夫滝" は樹木に隠れ、林道から見えませんが、落差約7メートルの大滝ですので、谷底で鳴り響く音は聞こえます。
 庚申渓谷は深い谷ですので簡単には滝つぼに下りることはできません。が、無事 写真を撮ることができました(縦長写真:2010/07/19)。
♦ 坑夫滝(光風の滝)

05. 天狗の投石

天狗の投石
(写真:2011/05/15)

 笹ミキ沢(笹見木澤)に架かる "笹美木橋" を渡ると間もなくして "天狗の投石(なげいし)" です(写真:2011/05/15)。
 庚申講登山時代から知られていたそうなので、銅山廃石の堆積場跡ではなさそうです。
 この場所だけ大きな岩が転がるという説明のつかない現象には、天狗の仕業と言うことにいたしましょう。
 また、長い間の植物の侵出により、岩の占める面積が縮小してきていると感じられます(まったくの私見ですが)。

天狗の投石
(写真:2011/05/15)

 そう言うわけで庚申講登山時代の"天狗の投石"は、今よりも迫力のある光景が広がっていたのかもしれません。
 掲載写真は、アカヤシオの花咲く天狗の投石です(写真:2011/05/15)。
 苔むした大きな岩が転がる "天狗の投石" を右に見て進めば、間もなく "一の鳥居"です。

(B) 一の鳥居 ⇒ 80分 ⇒ 猿田彦神社跡

06. 庚申七滝

七滝看板
七滝看板(写真:2012/07/18)

 林道の終点には、"庚申七滝"という連瀑があり、登山者達を出迎えてくれます。遊歩道がありますが、破損箇所があるので一部通行不可能です。
 庚申山講者の人達が参詣の途中で、禊(みそぎ)をしたり、休息したり、滝の水を飲んだりしたそうです(写真:2012/07/18)。
♦かつて七段の滝と呼ばれていた庚申七滝

07. 一の鳥居

これより庚申山入口碑
これより庚申山入口碑

 庚申七滝の手前に "一の鳥居"があり、鳥居の脇に道しるべが建っています(写真:2011/05/15)。
 道しるべ正面には "従是庚申山入口 行程十八丁"、側面に "明治四十二年九月五日建之"と、文字が刻まれています。

 " 一の鳥居" からは林道を離れて水ノ面沢沿いの参道を、江戸講中の人たちが建てた丁石を道しるべに進みます。沢の音を聞きながら、木洩れ日のなかを気持ち良く歩ける山道です。
♦庚申山講:庚申山に登山し猿田彦神社に参詣する信仰団体をいう。
♦従是庚申山入口行程十八丁:これより庚申山参道入口猿田彦神社までの道のり2km

水ノ面沢沿いの参道
水ノ面沢沿いの参道(写真:2013/10/29)

 ◎水ノ面沢沿いの山道(写真:2013/10/29)
♦沢沿いの滝

水ノ面沢
水ノ面沢の風景(写真:2017/06/05)/エゾハルゼミ(写真:2017/06/16)

 ◎セミの合唱が響く水ノ面沢の風景(写真:2017/06/05)
 この季節、エゾハルゼミの鳴き声が耳が痛くなるほど響きます。
エゾハルゼミの合唱「ケ・ケ・ケ・ケ・ケ」。カエルの合唱ではありません。
上写真をマウスでロールオーバした時の写真はエゾハルゼミ(写真:2017/06/16)。

百丁目

 ◎水ノ面沢の風景(写真:2010/06/11)
 写真の右端に百丁目を示す丁石が写っています。百丁目丁石を過ぎれば "孝子別れの場" の言い伝えのある "鏡岩" にたどり着きます。

08. 鏡 岩

鏡岩
(写真:2013/10/29)

 孝子別れの場の言い伝えのある "鏡岩(かがみいわ)" に出ました(写真:2013/10/29)。
 鏡岩の下には案内板があり、猿と父親の約束を果たすため、泣く泣く猿のもとへ嫁いだ娘の話が書かれています。
 そのほか、鏡岩にまつわる伝説があります。「ある武士が従者を従えここを通りかかると、火の雨が降ってきたので、この岩の下にかがみ込んで難を避けたので、蹲踞(かがみ)岩と名付けられた」というお話です。

鏡岩
鏡岩(写真:2011/05/15)/ 現地案内板(写真:2008/06/14)

 写真をマウスでロールオーバした時の写真は現地案内板(写真:2008/06/14)。
 ここからは、少し急な登りになります。

09. 夫婦蛙岩(めおとかえるいわ)

夫婦蛙岩と庚申川のヒキガエル
夫婦蛙岩(写真:2011/05/15)

 一ノ鳥居から庚申山荘までの水ノ面沢沿いの参道には、
"鏡岩" ⇐8分⇒ "夫婦蛙岩"
 ⇐10分⇒ "仁王門" と呼ばれる岩があります。
 右の写真は"夫婦蛙岩"と呼ばれている岩です(写真:2011/05/15)。
 写真をロールオーバした時の写真は、庚申川の渓流釣りでのスナップ写真ですが、ヘビがとぐろを巻いているものと勘違いして、一瞬ぎょっとなりました。
(マウスロールオーバ写真:2017/05/03 ヒキガエルの 抱 接)
♦ヒキガエル(ガマガエル・イボガエル): 在来種の中では最大級。ゴツゴツした皮膚と赤茶色のまだら模様が特徴。目の後ろにある耳腺から毒液が飛び出し、敵の目や口に入って苦しめる。

10. 仁王門

仁王門
(写真:2010/07/19)

 水ノ面沢沿いの参道に点在する丁石やモニュメント岩の存在は、息を切らして登る庚申山講者にとって、心強い水先案内人の役を担うものだったのでしょう。
 その中の一つ "仁王門"に到着しました。左右二つの大岩ですが、守護神としての風格は十分備えた大岩です(写真:2010/07/19)。
 "仁王門"の岩をすぎ、しばらく行くと、青銅の剣のある二ノ鳥居、猿田彦神社跡に着きます。

11. 猿田彦神社跡の石段下に着きました

旧猿田彦神社跡の階段下
猿田彦神社跡石段下の風景(写真:2013/06/10)

 写真左側に "勝道上人・大忍坊"の石碑と "百十四丁目"丁石があります。石段奥の開けたところが猿田彦神社跡です。
磐裂神杜から114丁離れた神社跡の石垣の前には、到着地を示す "百十四丁目"の丁石が、苔むした状態ですが現存しています。

12. 神社跡 石垣下

大忍坊

 ◎ 猿田彦神社跡石垣下の風景(上左右写真:2011/05/15)
  "勝道上人・大忍坊"の石碑と "百十四丁目"の丁石が、神社跡の石垣前に苔むした状態でひっそりと佇んでいます(上左写真)。上の写真をマウスでロールオーバした時の写真は、その石碑のアップ写真です。
 "青銅の剣" が神社跡の石段に向かって、右側に建っています。台座には "足尾銅山根利出張所"および "明治四十五年四月二十五日"と、鋳造による浮彫りで書かれています(上右写真)。
♦勝道上人:上人が庚申山を開いたのは767年の秋33歳の時で、奥の院の洞窟に青面金剛と猿田彦命をまつり、この山を庚申山と命名した。
♦庚午の大獄:大忍坊と雲井龍雄が庚申山社務所で密議をこらし、全国の同志を総決起させる秘策を練ったが、事前に発覚し捕らえられ斬首刑となった。
♦114丁目丁石:庚申山登拝の出発点にあたる磐裂神杜から、114丁離れた神社跡前に建つ、到着地を示す丁石。
♦青銅の剣:高さは約2mあり、台座には鋳造による浮彫りで "足尾銅山根利出張所"および奉納者の名前が記されている

♦ 銅山を支えた根利山の資源 ♦
 かつて、足尾の町に隣接する皇海山の麓に40年間だけ存在した集落があった。(省略)
 栃木県と群馬県の県境には、深田久弥が「日本百名山」のひとつに選んだ標高2143メートルの皇海山がそびえている。根利(ねり)山はその西麓一帯の通称である。(省略)
 明治31年(1898)、その群馬県根利郡赤城村砥沢(とざわ)に古河の根利林業所が開設された。(省略)
 根利林業所の主要目的は、山奥から伐採した用材を足尾・小滝地区にある銀山平製材所まで県境の山々を越えて運搬することであった。その手段としては、すでに足尾で敷設して手慣れている索道(空中ケーブル)輸送を選択することとし、(省略)
 明治35年の開設当時は銀山平から六林班峠の群馬県側にある権兵衛までで、37年に砥沢まで延長された。(省略)
 根利山での伐採が終るのは昭和13 (1938) 年で、その翌年、林業所は閉鎖された。
小野崎敏『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』 からの抜粋

13. 猿田彦神社跡

旧猿田彦神社跡
猿田彦神社跡(写真:2010/10/23)

 猿田彦神社跡です。各種案内板、石碑が、訪れた登山者たちを静かに迎え入れてくれます。

14. 庚申山荘 ⇐ 猿田彦神社跡 ⇒ お山巡りコースで庚申山

猿田彦神社跡
(案内板)お山巡りコース

 神社跡から左へ行くと0.2kmで庚申山荘。
 右へ行くとお山巡りコースで庚申山まで2.4kmの道のりがあります。

(C) 庚申山荘

15. 庚申山荘

庚申山荘
(右写真:2008/6/14)
庚申山荘
(左写真:2008/6/14)

 山荘は昭和60年(1985年)に建てられました。右の写真は皆さんお馴染の正面から撮影した山荘、左の写真は裏側から撮った山荘です(左右写真:2008/6/14)。

庚申山荘
(写真:2013/10/29)
クリンソウと庚申山荘
(写真:2015/06/07)

 山荘の収容人員は約60名ですが、緊急避難施設の為、管理者は常駐していません。したがって、素泊まりのみの利用に限られますが、水・布団・トイレの設備は完備されています。
(写真:庚申山荘 2013/10/29)
(写真:山荘とクリンソウ 2015/06/07)
♦庚申山荘:標高1550mに位置し、外装は杉丸太の木造二階建て。
内装は、広間(15畳) • 管理人室 • 炊事室 • 収容人員、宿泊室(収容人員38人⁄3室)。
オープン、昭和61年(1986)4月。

庚申山荘

 ◎庚申山荘(写真:2010/10/23)

(D)庚申山荘 ⇒ 70分 ⇒ 庚申山

 山頂へは "庚申山荘" を左に見ながら登山道を進みます。間もなくして水場に到着します。背後の岩壁の下部には、えぐり取られたような窪みがあります。岩壁群を右側に見ながら進むと、 "裏見の滝" に出ます。いよいよ クサリ場、ハシゴの連続する急登が始まります。

16. 初の門

初の門
(右写真:2010/06/11)
初の門
(左写真:2010/06/11)

 通路の左右に石柱があり、さらには天井のあるこの岩には "門" のつく名称、 "初の門" がぴったりです。
 しかし、この門は登山道の左側にあるので、うっかり直進すると、門を潜らずに通過してしまう恐れがあります(左右写真:2010/06/11)。
♦ "初の門"からクサリ場が続きます

17. 一の門

一の門
(右写真:2010/10/23)
一の門
(左写真:2010/06/11)

 ボンテン岩を過ぎると間もなく正面に "一の門" が見えてきます。右の写真で登山者の背丈と門高を比較すると、"一の門"の大きさが分かるかと思います。
(左写真:2010/06/11)
(右写真:2010/10/23)
♦ "一の門" と "かえるの番人"

18. 分岐点

分岐点
(写真:2008/06/14)

 この分岐点で "お山巡りコース"と合流します。
 つまり、直登すれば庚申山山頂、右に折れて進めば "めがね岩"などのある "お山巡りのみち"経由で、猿田彦神社跡に戻ることができます(写真:2008/06/14)。
 サァー、先を急ぐことにしましょう。この直ぐ上が "大胎内"です。

19. 大胎内

大胎内
(横長写真:2010/10/23)
大胎内
(縦長写真:2010/06/11)

 登山道の右に位置する "大胎内" の中をチョット覗いて見てみましょう。
 腹ばいで、くぐり抜けると、崖崩れのため使われなくなった鉄梯子が見えます。この事から、かつては大胎内経由での、 "お山巡りコース" が存在したと思われます。
 現在は大胎内下の登山道が、お山巡りのコースです。
(縦長写真:2010/06/11)(横長写真:2010/10/23)
岩場の続く急な坂道を抜けて、コメツガの樹林帯を進めば山頂に着きます。

20. 庚申山頂

庚申山山頂
(写真:2008/06/14)

 写真は、庚申山の山頂です。眺望は樹木にさえぎられ、あまり芳しくありません(写真:2008/06/14)。
 山頂から西へさらに2~3分ほど進むと、下の写真のような展望が開けてきます。
 下の写真で最も存在感のある山が皇海山(2144m)で、その左は鋸山(1998m)です。雲にまぎれて見えにくいですが最遠景に白根山、同じく右遠景に太郎山、男体山と、山並が続きます。

庚申山山頂からの展望

 ◎庚申山の展望台から(写真:2008/06/14)

鋸山、皇海山
庚申山の展望台から(写真:2008/06/14)

 ここからは、皇海山までの縦走コースを見渡すことができます。写真手前から奥に延びた尾根の先端が鋸山です(遠景左のピーク)。鋸山から右に分岐した尾根の鞍部が不動沢のコル、そして皇海山(2144m)がそびえています。また鋸山から左に分岐した尾根上には六林班峠があり、袈裟丸山へ続きます。
 ♦ 庚申山の展望台から

‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山は近くの袈裟丸山と同時期に火山活動をしていたものと推定されています。噴出物は、安山岩質、凝灰角礫岩が主で庚申山頂から南東方面に広く分布しています。安山岩は火成岩の一種で地下の溶解したマグマが地表で固まって出来た岩石で塊状となります。この附近ではミズナラ、シラカンバ、ゴヨウマツ、山頂附近はアオモリトドマツの自然林です。特別天然記念物に指定されているコウシンソウの名はここの地名をとっています。みなさん、植物をとったり、傷つけないで下さい。火気には特に注意し、山火事をおこさないようにご協力下さい。環境庁 栃木県
◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 岡田敏夫(1988)『足尾山塊の山』白山書房
  • 小野崎敏(2007)『足尾銅山物語』新樹社
  • 増田宏(2008)『皇海山と足尾山塊』白山書房