足尾 庚申山 "コウシンソウの自生地" ⇒ お山巡りのみち ⇒
概 況庚申山は足尾西部に位置する標高点1892mの山です。
右の写真では、中央奥の山が庚申山です。
右奥が皇海山で、庚申山と皇海山の手前に位置する山はオロ山。
左の山はトウノ峯で、右斜面は沢入山です(撮影:2009/10/12)。
庚申山は、原始林の景観に優れた山で、初夏のツツジ、さらに岩壁山容の秋は、男性的な紅葉の景色が楽しめます。
右の写真は "庚申山荘"からの展望で、眼前に展開するは、庚申山の南東面 "お山巡り"の崖です(写真: 2010/10/23)。
♦大町桂月(オオマチケイゲツ) : 明治2年(1869-1925)高知市生まれの紀行作家、評論家。
「関東の山水」 (明治四十二年出版) 大町桂月 著
"第四章 野州の山水 第二節 庚申山 (九)細尾峠の紅葉"の章
‹ 抜粋 ›
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」 といふ庚申山に對する俗諺あり。庚申の如き霊奇の山を一度も見ざるものは、馬鹿也。されど、危険きはまる山なれば、二度とゆくは馬鹿なりとの意也。われは、その二度見る馬鹿となりけるが、閑と錢とあらば、なほ三度見ることを辭せざる也。
(以下は、つたない解釈です)
「一度見ぬ馬鹿、二度見る馬鹿」という、庚申山にたいすることわざがあります。庚申山のような神秘的で不思議な山を一度も登ったことのない人は不幸です。しかし、この上なく危険な山だから、決して二度登ることは考えられないという意味です。わたし自身は二度登るという無鉄砲なことをしてしまったが、もし時間と金銭の都合がつけば、更に三度登ることをいやがりません。
庚申山頂右の写真は、庚申山の山頂です。眺望は樹木にさえぎられて あまり芳しくありませんが、さらに1〜2分ほど山頂西側へ進むと、下の写真のように展望が開けてきます。
下の写真で最も存在感のある山が皇海山(2144m)で、その左は鋸山(1998m)です。雲にまぎれて見えにくいですが最遠景に白根山、同じく右遠景に太郎山、男体山と山並が続きます。(写真上下:2008/06/14)
‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山は近くの袈裟丸山と同時期に火山活動をしていたものと推定されています。噴出物は、安山岩質、凝灰角礫岩が主で庚申山頂から南東方面に広く分布しています。安山岩は火成岩の一種で地下の溶解したマグマが地表で固まって出来た岩石で塊状となります。この附近ではミズナラ、シラカンバ、ゴヨウマツ、山頂附近はアオモリトドマツの自然林です。特別天然記念物に指定されているコウシンソウの名はここの地名をとっています。みなさん、植物をとったり、傷つけないで下さい。火気には特に注意し、山火事をおこさないようにご協力下さい。環境庁 栃木県
庚申山荘付近

庚申山荘
写真の山小屋は1985(S60)年に建てられた庚申山荘です。
山荘の収容人員は約60名ですが、緊急避難施設の為、管理者は常駐していません。したがって、素泊まりのみの利用に限られますが、水・布団・トイレの設備は完備されています。
右の写真は皆さんお馴染の正面から撮影した山荘、左の写真は裏側から撮った山荘です(写真左右:2008/6/14)。

猿田彦大神
庚申山荘内にある小祠が猿田彦大神(さるたひこおおかみ)の本殿です
(写真左:2010/06/11)。
向かって右側にある掛け軸には、三神が描かれています。掛け軸には、猿田彦大神が上方中央で榊(さかき)の枝を持ち、雲の上に立っている姿が描かれています。右下の大国主は、矛を持ち立ち、左下の少彦名は、薬壺を持ち座しています(写真右:2010/06/11)。
‹ 現地案内書の抜粋 ›
庚申山山荘 護摩法要のご案内
毎年Ο月とΟ月の第三日曜日の朝Ο時より山荘内にて、六檀護摩法要を厳修しております。秘仏であるご神体のご開帳もいたしますので、ご縁のある方は是非ご参拝下さい。ご神体猿田彦大神は、天孫族の道案内として神話の中に登場する故に、道祖神として旅行の安全をお祈りしたり、寿命の長久や縁結びなども司ります。

天下の見晴らし
庚申山を眺めるには、"天下の見晴らし"がお勧めです。庚申山荘から30分程南下した所にある尾根の鎖場を登りきると、そこが天下の見晴らしです。このピーク(標高1500m)には、左写真のように大きな岩が鎮座しています。
庚申山荘とほぼ同じ標高のこのピークからは360度の展望が開け、遠くから、そして周りから押し寄せる樹海の大波小波に、圧倒されます(写真左右: 2010/07/19)。
その "天下の見晴らし" と名づけられた展望の良い頂上から撮影した庚申山が右の写真です。
手前左の山は、"銀峯" (標高点1681)と言う馴染みの薄い山ですが、秋に織り成す岩壁と紅葉の景色は、男性的な足尾の秋色を演出します(撮影:2010/07/19)。
"丁石" が現存する参道

丁石 江戸講中の人たちが建てた "丁石"の一部が、今も登山道に現存しています。右写真の場所は、磐裂(いわさく)神杜からちょうど百丁目の地点にあたります。現地案内板によりますと、磐裂神杜から庚申山までは、114丁(旧道)の距離があり、この丁石は文久3年(1863)の建立だそうです(写真右: 2008/06/14)。
庚申山まで114丁の距離とは言っても、庚申山講者の目的は、山内の岩場を巡り、神社に参詣することですので、旧猿田彦神社跡が、「百十四丁目」に当たります(写真左: 2008/06/14)。
歩いた距離を指し示すこれら丁石の存在は、きびしい "水ノ面沢" 沿いの山道を、息を切らして登る庚申山講者にとって、心強い水先案内人の役を担うものだったのでしょう。
♦丁石 (ちょういし) : 昔、道しるべとして用いられ、1丁(約109m)の間隔を置いて立てられた。
♦庚申山講 : 庚申山に登山し猿田彦神社に参詣する信仰団体を言う。
‹ 現地案内板の一部抜粋 ›
庚申山猿田彦神社 : 猿田彦神社は拝殿と各部屋を構えた100余坪の平家建てでありましたが、昭和21年4月に焼失してしまいました。

一丁目丁石左の写真は、遠下の磐裂神杜に建立された「一丁目」の丁石で、庚申山登拝の出発点にあたります。この丁石は江戸時代末期、文久3年(1863)4月8日に建立されたものです(写真左:2008/8/12)。
百十四丁目丁石磐裂神杜から114丁離れた猿田彦神社跡には、到着地を示す「百十四丁目」の丁石が、神社跡の石垣の前に、苔むした状態ですが現存しています。(写真右:2010/10/23)
♦ 登拝起点の磐裂神杜に、「一丁目」の丁石が存在すると言うことは、猿田彦神社跡までの実質距離は 114丁目−1丁目=113丁となるのでしょうね。
♦ 磐裂神杜から庚申山猿田彦神社跡までの距離 百十四丁(旧道)とは、どのくらいですか
1丁≒109m ですから 114丁=12.4kmと、なります。
[ ためしに電子国土地図上で、計測してみました]
その結果は、計測距離=11.6km(高低差無視) となりました。
旧道と新道の違いはありますが、ほぼ一致と言っても良さそうです。庚申山の山中に設置された丁石は、大変信頼できる道標だったのですね。
庚申山に咲く草花と、足尾町の花 • コウシンソウ
ユキワリソウお山巡りのみち途中にある衝立岩にはユキワリソウが所狭しと咲いています。一つひとつの花は可憐ですが沢山の花数のため、黒い岩壁は紫に染まり今年も華やかな岩壁になりました。写真ではアップ撮影のため群生表現が今一つでした(撮影 2008/6/14)。
" 霧に濡れ 岩壁おおう ユキワリソウ " とおる
( きりにぬれ がんぺきおおう ゆきわりそう )
クリンソウ庚申山荘の裏と、猿田彦神社跡の二ヶ所で自生しています。山荘裏も神社跡も真紅一色のクリンソウの群生です。その為、一見するとヒガンバナ(彼岸花)の群生を連想させられます(写真:山荘の裏にて 2010/06/11)。
◊ クリンソウ: 花色は、ピンクや白などの変種が知られていますが、基本種の花色は庚申山で群生している濃い紅色です。

庚申山に自生するクリンソウもユキワリソウも、サクラソウ科サクラソウ属の多年草です。しかし、クリンソウは草地に生えて、高さは40cmほどに生長しサクラソウの中では大型の部類に属しますが、ユキワリソウは岩場に自生し、高さも10cmほどしか生長しません。このように生息場所も大きさも異なりますが、どちらも亜高山帯の人目に付きにくい場所で、ひっそりと咲いています。
(写真左:ユキワリソウ2010/06/11),(写真右:クリンソウ2008/06/14)

コウシンソウ自然に恵まれた足尾は植物の宝庫といえるでしょう。その中でも国の特別天然記念物に指定されているコウシンソウは足尾を代表する植物といえます(写真左: 2011/6/20)(写真右: 2008/6/14)。

しかし、国の植物レッドデータブックで「絶滅危惧II類(VU) Vulnerable」に指定される程、絶滅の危険が増大している植物なのです。庚申山は原生林の豊かな山ですが、コウシンソウの生育地は垂直な岩壁ですので、崖崩れや落石などによる自生地の自然崩壊の懸念があります(写真左右: 2010/06/11)。
更には撮影、観賞、観察時の周辺環境破壊も考えられます。コウシンソウ自生地を厳重に保護し、今後もコウシンソウを守りましょう。
写真は岩壁で人知れず咲くコウシンソウ(写真:2011/06/20)。
◊ コウシンソウ ◊
◊ 明治23年 三好学博士、庚申山で発見
◊ 大正11年 天然記念物に指定
◊ 昭和27年 特別天然記念物に指定
◊ 昭和53年 自然保護シリーズ記念切手第19集の画題に選ばれ50円切手発行
◊ 昭和57年 足尾町の花に制定
「コウシンソウ」郵便切手
♦発行日:昭和53年6月8日
♦種類:50円郵便切手
♦意匠:コウシンソウ
♦印面寸法:縦35.5mm 横25mm
♦版式刷色:グラビア3色
(明るい緑味青、にぶ紫、黄色)
凹版1色(こい紫味青)
♦原画作者:大塚 均(図案家)
♦発行枚数:30,000,000枚
‹ 初日カバー(FDC)より抜粋 ›

中学校の外壁
足尾中学校の外壁はコウシンソウのデザインによる陶壁で出来ています(写真左:2008/10/25) (写真右:2009/05/03)。
オトシブミ
仁田元林道にて秋の気配がただよい始めた9月の林道を歩いていると、道ばたの石の上で日なたぼっこをする1匹の昆虫に遭遇した。体長1cm位の昆虫ですが名前は分かりません。帰宅して調べたところでは、オトシブミという甲虫のようです。来年(2010年)の初夏には、オトシブミの卵を持ち帰って羽化するまでを観察してみましょう(写真:仁田元にて2009/09/17)。
♦ オトシブミ: 初夏に樹木の葉を左右二つに折り畳んで葉先から2回転ほど巻いて、これに穴をあけて卵を産みつける。さらに巻き上げて巻紙の手紙に似た巣(揺籃)を作る。この揺籃の形が、"落とし文"の形に似ていたことが名前の由来とか。幼虫は揺籃を食べて、その中で蛹(さなぎ)になり羽化する。
庚申渓谷林道にて2010年の初夏になりました。さっそく"落とし文"を拾いに行きましょう。
銀山平から一の鳥居までの林道と、そこから水ノ面沢に沿った登山道にかけて、それは落ちていた。今迄もこの季節のこの道には多くの揺籃が落ちていた筈なのに、何度となく歩いたこの季節のこの道なのに、今まで気づかずに通り過ぎていたなんて(-_-;)。
揺籃の大きさは直径1cm、長さ2〜3cmくらいです(写真:揺籃 2010/06/11)。
♦ 落とし文(おとしぶみ):おおっぴらには言えない事柄を、自然に人が読んでくれることを期待して、人目につきやすい道路などに落としておく文書。
♦ 揺籃(ようらん):「ゆりかご」の漢語的表現。ここでは、卵の入った葉巻の筒のこと。

自宅にて持ち帰った揺籃を適度な湿度に保っておくと15日目から羽化が始まった。右写真のように揺籃の外壁に穴をあけ、左の写真のような虫が出てきた。確かに揺籃はオトシブミが成長するまでの衣・食・住でした。
(写真左:腕の上を歩くオトシブミ 2010/06/28)
(写真右:住人?の居なくなった揺籃 2010/06/27)
" 落し文 地球の明日を 託しけり " とおる
( おとしぶみ ちきゅうのあすを たくしけり )