石垣のある風景(2)

文象楯入坑__(上写真:坑口跡 "文象楯入坑":2020/06/09)標高790m

文象沢沿いに残る石積み風景明治30年(1897)に出された第三回鉱毒予防工事命令により、小滝製錬所は廃止になりました。跡地には浄水場、沈殿池、濾過池、社宅等が造られましたが、その後もたえずスクラップ アンド ビルドの繰り返しで、その時代の歴史ある設備はそのつど消失しました。しかし、石積み構造物の残る風景が、文象沢沿いに今なお存在しています。

地図__(上地図:小滝地区)

文象(ぶんぞう)堆積場跡地にあった小滝小学校

400*267小滝小学校跡右写真の左隅に写る構造物は、文象沢に架かる旧文象橋です。現在使われている文象橋は、直ぐ下に架かっています。写真の右にある白い色の現地案内板の奥が、小学校跡に続く石段です。中央の坂道も小学校跡にたどり着くことができます。
(右写真:2020/06/09:ロールオーバーで写真拡大)
♦文象橋:地形図に直接記された 標高点・707 地点が、右写真の撮影場所です。文象という名称は人名に由来するようで、他に文蔵、文三、文造と記された場合もあるようです。
◎下に掲載の写真は、長い石段を上り詰めて校門にたどり着くところです。左前方にある二宮金次郎像の台座(長い年月を見続けてきたその台座)が、訪れる人たちを静かに迎え入れてくれます。

小滝小学校__(上写真:小滝小学校跡:2020/06/09)

小滝小学校 明治30年(1897)、鉱毒予防工事命令により文象堆積場は廃止、跡地には社宅と学校が建てられました。
 社宅は当時最も新しい長屋でしたので "新長屋"と呼ばれていました。社宅は小学校の東側に35棟建てられ、大集落を形成しましたが昭和29年(1954)、消滅しました。
 小学校は、銅山最盛期頃の大正8年(1919)には、児童数1,035名をかぞえましたが、昭和31年(1956)廃校になりました。
 今は山中の高台にひっそりと石垣が残るだけです(上写真:2020/06/09)。

(現地案内板の一部抜粋)
小滝小学校跡 第三中学校跡
明治26年銅山私立小の分校として開校。大正7年児童991人。中学校は昭和28年に統合され、小学校は同31年に廃校した。( 坂の上に校舎の跡あり ) 日光市

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広道路地区

広道路(こうどうじ)明治23年(1890)、広道路(地)に小滝製錬所が設立されました。しかし、明治30年(1897)に出された第三回鉱毒予防工事命令により、小滝製錬所は同年廃止になりました。その後、製錬所跡地に浄水場、沈殿池、濾過池、社宅等が造られました。
 明治32年(1899)3月12日、田中正造足尾銅山視察時、長いマフラー姿で集団の中央に立つ写真がありますが、ここ広道路で撮影されたものだそうです。
今なお残る石積み構造物から当時の様子をかいま見ることができます。
(下写真:文象沢の右岸に残る石垣:2020/06/09)

広道路

400*267300*200 文象沢に架かる文象橋を渡るとそこからが広道路地区(文象沢の右岸に広がる地)になります。
 右写真の左奥に文象橋が小さく写っています。そこから手前が広道路でした。駐車している赤い色の軽自動車から手前にかけて浴場、柔・剣道場(甲武館)、社宅、グラウンドがありました。私はこの集落で生まれ5〜6歳のころ、通洞に引っ越しました(上右写真:2020/06/09)。
 それでは文象橋のたもとにある石段を上がってみましょう(上左写真:2020/06/09)

300*200広道路山側の広道路
 石段を上がると左手に苔むした台地が広がります。私が住んでいた頃は、水泳プール、倶楽部(掛水倶楽部のような施設)、通称 "まかない"と呼んでいた食料品店がありました。また、氷室があり夏に氷を食べることもできました(上左写真:2020/06/09)。
 この台地の山側にも石垣が残っています(上右写真:2020/06/09)。
 石垣の上に出ると、以下に述べる光景に出会いました。

ジギタリスジギタリス群生地ジギタリス群生地文象橋から沢の右岸を進むと奥にある石垣の上にでます。ここは明るく開けたところで、すがすがしい気持ちになれます。ピクニックでお弁当を広げるにはとても良いところです。
  遠くには、小滝小学校跡からも眺望できる、通称 "さんかく山"をも、望むことができます(左上写真:2020/06/09)。
 背後の斜面には "ジギタリス"の花がそよ風のなかで咲いています。
 以前足尾にて、住人のいなくなった家の庭に咲く "ジギタリス"の花を見たことがありました。その時は、どことなくもの悲しい気持ちになりました。しかし今、目の前に広がるこの光景には不可思議でなんとも奇妙な気持ちになりました。ヨーロッパ原産の植物が群生する光景は、ここでは似合わないと思ったのです。が、この植物は水はけと日当りのよいところが大好きで、暑さには弱いが寒さに強く、こぼれ種からもよく発芽するそうです。
 ソレジャア、ここで群生しても致し方ないことと思いました。来年もここ、"ジギタリスの丘"で貴方たちに会えれば嬉しいなァ(ジギタリス:上掲写真の左下および右写真:2020/06/09)。
⇒ ジギタリスの花へ

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文象沢の堰堤

文象橋文象橋起点の文象橋標高点707m地点に架かる旧文象橋を起点に遡上します。
  左写真は旧文象橋から上流側を写しました。右写真は上流側から写した旧文象橋です。今回初めて旧文象橋が、アーチ橋(上路鉄筋コンクリート製)であることに気づきました。(左右写真:2020/06/09)

水路水路 石積み "水路"が約100m上流に向かって延びています。沢床のコンクリートは長い年月により浸食破壊された状態です(左写真:破損著しい "水路"の沢床)。
 右岸にある石段を上がると "水路"が上流に延びていることが分かります(右写真)。(左右写真:2020/06/09)
♦水路:文象橋から上流に延びる水路は鉱毒予防工事命令で造られ、石積み3面張りで沢床はコンクリート補強。

取水堰 取水堰取水堰(せき)文象橋から文象沢の右岸を300m程進むと取水堰の上に出ます。この取水堰は鉱毒予防工事命令の時に造られたものです。この取水堰で取水し、山に沿って設けた樋を介して沈殿池まで、全沢水を導水するために造られたものと思われます。左右写真ともに上流側から写したものです。浸食でむき出しになった取水堰基礎部分のレンガの状態は色鮮やかで形状も多様です(左右写真:上流側から撮影:2020/06/09)。

取水堰(せき)諸元及び外観 <抜粋>
高さ約1.5m、天端長約3.0m。下部はレンガ積み、中央部は浸食され穴が開いている。レンガの断面は三角や台形などの珍しい形で数色のレンガが鮮やかに組まれている。天端のコンクリートは浸食で丸みを帯びている。
出典 広報あしお(平成17年3月号)『足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証』足尾町役場

取水堰__(上写真:下流側から写した取水堰(せき):2020/06/09)
 上掲写真は取水堰を下流側から撮影したものです。沢の両側に切り立つ岩壁に、必死にへばりついている構造物が "取水堰"です。
 外装のコンクリートは浸食されて、内部のレンガ材がむき出しになった状態です。レンガ自体も浸食破壊され、辛うじてアーチ状態で残っています。
 浸食されアーチ形になった取水堰の上流側には、ぎっしりと敷き詰められた石が見えますが、流れる水の勢いによって、沢底が削りとられるのを防止し、沢水を取水堰にスムーズに誘導するために床固工(とこがためこう)が施されているためです。

文象沢堰堤文象沢の砂防堰堤文象沢(第一)堰堤
 左写真は "文象沢(第一)堰堤"の全景です。右写真は直下から見上げて、アップで撮影したものです。
(左右写真:2020/06/09)
 文象沢には砂防堰堤が3箇所存在するようですが、それぞれの砂防堰堤の名前が不明ですので、暫定的に下流の堰堤から番号を振り分け表記しました。この堰堤は最下流に位置するので "文象沢(第一)堰堤"と記述しています。
(私の体力ではここまで歩くのが精一杯ですので、今回は第一堰堤のみの記述となります。)

文象沢堰堤__(上写真:文象沢(第一)堰堤 全景:2020/06/09)標高750m

文象沢ダムの諸元 <抜粋>
形 式:石積
高 さ:14.4m(実測)
長 さ:33.5m(実測)
天端幅:5.7m(実測)
出典 「平成26年度環境科学実習(足尾実習)報告書」(11ページ目)筑波大学生命環境科学研究科環境科学専攻

文象沢ダム 文象沢(第一)堰堤上流側の風景堰堤にたどり着いたのですから是非とも堰堤の上に立ってみましょう。石畳を直接登らず、左下から山側に沿って登りましょう。
 右の写真をマウスでロールオーバした時の写真は、堰堤の天端から下を覗いた時のものです。
 堰堤の上流は、黄色がかった茶色の廃石で全面覆われています(右写真:2020/06/09)。
 これより上流側には "ズリ捨場(ずりすてば)"が数箇所存在したので、廃石が流出して現在の河川状態になったのでしょう
♦ずり:鉱石採掘で掘り出された廃石。

♦文象沢の取水堰と堰堤は、鉱毒予防工事命令書交付により造ることになりました。
<第三回命令書抜粋>
第二十一項 文象沢に於ける従来の捨石は之を扞止するの設備をなし、且つ渓間より流出する雨水は別に山に沿ふて溝渠を設け之を排泄すへし
 (捨石:鉱山や炭鉱で捨てられる価値のない石)
 (扞止:せきとめること)
 (溝渠:水を流すみぞ)

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文象沢沿いの坑口

文象楯入坑__(上写真:"文象楯入坑" 坑口跡:2020/06/09)標高790m

文象楯入(たていれ)坑口跡文象沢沿いに坑口が三箇所存在しました。鉱毒予防工事命令により、文象沢の各坑口は密閉されました。最下部に位置する "文象楯入坑"も、出入口を塞がれ今に至っています(上写真:2020/06/09)。
 ♦文象沢の坑口跡:文象沢の上流側から数えて "太郎坑" "六十丈大切坑" "文象楯入坑" の3坑が存在した。第五回鉱毒予防工事命令により、これらの坑口は密閉された。

♦文象沢の坑口は、鉱毒予防工事命令書交付により、石で塞がれることになりました。
<第五回命令書抜粋>
第十三項 文象沢大切坑口を除く外 文象沢に於ける各坑口を密閉すること

片マンプ石山"石山"のトロッコ路を歩く
"小滝の里"と "文象沢"の間の尾根を "石山"と呼ぶようです。その"石山"の尾根、高度800m付近に大きな岩が2個有り、その間を通り抜ける山道があります(左上写真:2020/06/09)。
 幅が2メートル程もあるこの山道は、790〜800mの等高線に沿って "文象楯入坑"まで延びてます。水平に続くこの道は、トロッコの道跡かと思われます(本ページ掲載地図上では、緑色のルート)
 この道を東北東方向に水平に進めば、"片マンプ"に着きます(上掲右写真:2020/06/09)。
この片マンプは、写真からも分かるように文象沢側が崩れ落ちているので道幅が狭いです。ここは気を引き締めて、念には念を入れ、且つ又、慎重に通り抜けましょう。ここを無事に通過すれば直ぐに目的地の "文象楯入坑(廃坑口)"にたどり着きます(上掲左下写真:2020/06/09)。
♦片マンプ:岩盤の側壁をの形に削り取って造った半トンネル。
⇒ 笠松片マンプへ

文象楯入坑(廃坑口)諸元及び外観 <抜粋>
石で塞がれている坑口(内法縦2.5m 横3.8m)はコンクリート枠(幅25cm位)で固められ、坑口のほぼ中心に幅約1.0mの中柱がありその基礎の上に山神様と記した石片が置かれている。… (省略)
出典 広報あしお(平成17年3月号)『足尾の産業遺跡(40) 小滝文象沢三坑の検証』足尾町役場

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 「足尾ガイド」作成委員会(2006)『足尾ガイド』足尾町
  • 小野崎敏(2006)『小野崎一徳写真帖 足尾銅山』新樹社
  • 広報あしお(平成17年1・2・3月号)『足尾の産業遺跡(38)(39)(40) 小滝文象沢三坑』足尾町役場
  • 筑波大学生命環境科学研究科環境科学専攻『平成26年度環境科学実習(足尾実習)報告書』
  • 長井一雄 他(2004)『足尾銅山百選・産業遺産保存活用の手引き』ふるさと足尾歴史セミナー自主研究会
  • 村上安正(1998)『銅山の町 足尾を歩く』随想舎