足尾町で最も南に位置する原向駅(はらむこうえき)
原向駅わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線の駅で、栃木県日光市足尾町3066番地にあります(写真右:2007/10/20)。
駅の北側を渡良瀬川が流れるため、国道122号に出るには渡良瀬川に架かる原橋を利用します(写真左:2008/1/4)。
駅周辺
片マンプ産業遺跡
庚申山碑
小滝小学校址
小滝の里
銀山平キャンプ場
中国人殉難慰霊塔
庚申山登山口
(写真:オットセイ岩 2010/04/18 原橋下流渡良瀬川右岸)
♦ オットセイ岩 : 川に迷い込んだオットセイがこの場所まで溯上して来たが戻れず、そのまま岩になってしまったという言い伝えがあります。バス停 "唐風呂(からふろ)"から、河原に下りられます。オットセイ岩の高さは約2メートル8センチ。
" 笠松片マンプ " は 岩壁をけずりとって造った道路です
笠松片マンプ大萱山西端尾根の高い崖が切り立って続いている側壁に、笠松片マンプがあります。
今日では笠松トンネル (わたらせ渓谷鐵道) 内を列車が通っていますが、当時は岩盤を掘り進むことが困難なため、側壁を削って片トンネルにして、馬車鉄道の軌道を敷設しました。
この笠松片マンプ跡は、当時 (明治24年、馬車鉄道工事開始、明治26年完成。これにより、渡良瀬を、一大 ターミナルステーションとする、軽便馬車鉄道網が完備。) の物流道路の様子が分かる、貴重な産業遺跡でもあるのです(写真:2008/08/12/)。
♦ 大萱山(おおがややま) : 足尾町南端の県界稜線中央に位置し、1154.2m 三角点のある山。
笠松トンネルと 笠松片マンプ
笠松片マンプは、足尾トンネル(道路)と笠松トンネル(鉄道)に挟まれて、渡良瀬川の左岸にあります。
上の写真は、笠松トンネルを通過する列車と、馬車鉄道時代に利用された笠松片マンプ(コの字状に掘削して造った半トンネル)のスナップショットです。
(撮影:2008/08/12)
♦(馬車鉄道)
軽便軌道上のトロッコを馬が引く輸送方法のひとつで、通常の馬車より走行上の摩擦が少ないため速度も速く、乗り心地も良く、また軌道上を走行するために舵取りも必要ないという利点を持つ。
足尾トンネル
群馬県側から足尾に入る最後の難所だった峠道の下を突き抜けているトンネルです。
鉄道での県境は笠松トンネルの中間点ですが、自動車道では群馬県側から沢入トンネルを抜けると栃木県になります。
写真左は群馬県側から入る足尾トンネル。壁面には足尾銅山坑夫のレリーフが足尾の町に入る人を歓迎してくれます。
写真右は足尾側からの足尾トンネル入口。壁面のレリーフは、原小学校の児童たちが美しく豊かな自然に恵まれた郷土を誇りに思い、足尾の動物たちを描いたものです(写真左右:2008/08/12)。
駅からの散歩道
里山風景駅背後にそびえる石倉山の山麓風景(撮影:2008/1/4)。

第二渡良瀬川橋梁
原向駅から通洞駅方面に行くと、切幹 (ぎりみき)橋があります。左写真の左下奥のチョコレート色の橋が新切幹橋で、手前の白い橋が旧切幹橋です。この橋の下流に青色の"第二渡良瀬川橋梁"があります(写真左: 2007/10/20)。
右の写真は、第二渡良瀬川橋梁の建造銘板です(写真右: 2010/04/18)。
この橋梁は足尾鉄道によって、大正元年(1912)に架設され、国内製作で、しかも100年もの間使用されている貴重な橋梁です(撮影:2007/10/20)。
第二渡良瀬川橋梁・諸元
開通年月:大正元年(1912)12月13日
鉄道名・駅間:わたらせ渓谷鐵道 原向−通洞間
所在地:栃木県足尾町
河川名:渡良瀬川
橋長・単複の別:104.85m、単線
径間数・支間長:2X46.939m、 1X9.601m
形式:単線下路プラットトラス(ピン結合)、 単線上路プレートガーダー
引用 「鉄(かね)の橋百選」 近代日本のランドマーク 成瀬輝男 編
庚申山碑駅から国道122号を通洞駅方面に行くと庚申川に架かる新切幹橋があります。ここを左折すると高さ4.1m、幅1.7m、厚さ0.7mもある大きな石でできた有形民俗文化財"庚申山碑"が道路の右側にあります(撮影:2007/9/2)。
これは足尾町に存在する最大の石碑で、往時の庚申山登山が盛だったことが想像できます。石碑は、はじめ磐裂神社の第一鳥居わきに設置されたが、昭和25年に切幹橋の脇に移設されました。
(現地案内板の一部引用)
日光市指定有形民俗文化財庚申山碑足尾町切幹
この碑は慶応元年五月に庚申講の江戸講中二十三人と足尾宿の頭取、福田真右衛門の寄進によって建立されたもので書は松翁、石工は日光町(現在の日光市)の八十平の作となっています。碑の高さは4.1m、幅1.7m、厚さ0.7mであり、当時の庚申山信仰(猿田彦神社参拝)の隆盛を物語っております。
日光市教育委員会
磐裂神社
神社と御神木ひのき
磐裂(いわさく)神杜の御神木ひのきは樹齢250年、高さ35メートル、太さ3.2メートルで平成元年六月十五日栃木名木百選に指定されました(撮影 2008/8/12)。
丁石 江戸時代、庚申山登拝の出発点は遠下の磐裂(いわさく)神杜でした。江戸講中の人たちが建てた道標が登山道に現存しています。磐裂神杜から庚申山まで114丁(旧道)あり、写真の地点が出発点の「一丁目」です。この道標は文久3年(1863)4月8日建立です(2008/8/12)。
現代の人がこの丁石を新規建立すると仮定すると、スタート地点のここは「一丁目」の道標ではなく 「零丁目」となるでしょう。
(現地案内板の一部引用)
「足尾5氏」と言われる一族14人が日光から移住してきた時 妙見宮の分身を拝受し、大同3年(808)に足尾郷14ケ村の鎮守と定めた。文化文政の頃庚申山信仰が盛んになり登拝口として講中寄進の庚申山碑や一丁目標が建てられた。神社は大正3年(1914)現在地に移った。境内に栃木県名木百選の大桧(神木)がある。 日光市
切幹の里と「南総里見八犬伝」
小説「八犬伝」文化14(1817)年、次第に出銅が少なくなり、銅山は休止状態となる。このころ江戸で書かれた大長編小説が「南総里見八犬伝」です。
小説では八犬士の一人犬飼現八が化け猫を退治しますが、この場所が足尾です。渡良瀬川と庚申川が合流する地点(切幹の里近辺が想像できる)にある一軒の茶店が物語の発端となる場所だ。犬飼現八がこの茶店で庚申山の化け猫についての話を聞き弓を買い、そして犬村角太郎と協力し苦難の末、化け猫を退治する。