足尾町を流れる全ての川は渡良瀬川に通ず

渡良瀬川足尾トンネル付近(上写真:2015/09/22)

渡良瀬川に架かる渡良瀬橋 渡良瀬川は利根川の支流ですが、かつては 太日川 (ふといがわ)と呼ばれ、江戸湾まで達する川でした。江戸時代に、利根川と渡良瀬川を接続する工事が行われ利根川の支流となりました。
 渡良瀬川に架かる渡良瀬橋は、渡良瀬地区と掛水地区とを繋ぐ架け橋です(写真:2013/01/31)。

渡良瀬川
項目 データ
水源 皇海山
水源の標高 2,144m
水系 利根川水系
延長 107.6km
流域 足尾町、大間々町、桐生市
足利市、佐野市、古河市
河口 茨城県古河市で利根川に注ぐ
 渡良瀬川は、足尾砂防ダムより約12kmさかのぼった松木川上流の皇海山(2,144m)に源を発し、群馬県大間々町まで険しい渓谷を流れ、桐生市・栃木県足利市・佐野市等の平地を流れて茨城県古河市で利根川に注ぐ、全長107.6kmの河川です。
♦ Webブラウザで見る国土地理院地図(電子国土Web)では、皇海山直下を水源とする 松木川 と、黒檜岳(1976m)付近を水源とする三沢(三ノ沢) との合流地点から下流が、 渡良瀬川 と表記されています。
♦ 本ページでは勝道上人の時代から受け継がれてきた渡良瀬川の流域 (神子内川との合流地点から下流) を、渡良瀬川と呼ぶことにします。

♦渡良瀬川の渡良瀬橋

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渡良瀬、掛水エリア

松木川と神子内川とが合流して渡良瀬川となる渡良瀬地区国道122号に沿って流れてきた神子内川は、渡良瀬地区で松木川と合流して、渡良瀬川になります。
  右の写真は、左から流れてくる松木川と奥から流れてくる神子内川とが合流して渡良瀬川となって、手前に流れてくるところです(写真:2011/04/28)。
 ♦ 日光開山の祖といわれている勝道上人がこの地に着いたとき、川には橋がなかった。そこで、川の浅瀬を見つけ、無事に対岸に渡ることができた。以来、この地を渡良瀬という。
♦大黒橋を流れ出た松木川と神子内川とが合流して、渡良瀬川となります

新渡良瀬橋新渡良瀬橋渡良瀬橋のすぐ上流に架かる橋が新渡良瀬橋です。型式は桁橋で、平成10年(1998)に開通しました。渡良瀬川に架かる道路橋としては、この橋が最も上流に位置することになります(写真:2007/09/16)。
 写真奥(上流側)のピントラスの橋は、通洞選鉱所へ用水を送るための水路橋です。
♦水路橋の鉄管上の親子猿

現在の橋の断面 渡良瀬橋明治後期に建造された渡良瀬橋は、鉄製のアーチ橋でした。その後昭和2年に改修、さらに昭和10年(1935年)に上路コンクリートアーチ橋に改修され、現在は歩行者専用橋として利用されています。
 写真は現地案内板に記された改修前後(ロールオーバした時に変化する写真)の説明図です(写真:2004/09/12)。

渡良瀬橋 渡良瀬橋はネイティブアメリカン先住民族ナバホ族の神聖なる地にある、虹が固まって石になったと言い伝えられる「レインボーブリッジ」と同様に、この橋を目の前にすると、橋の支材が半円の形をしているため、渓谷に懸かる虹のような美しさを感じとることができます(^o^)/(写真:2006/10/09)。

渡良瀬橋と桜渡良瀬橋 左の写真は、橋台で猿が遊んでいるところを撮影しました。
 右の写真は、渡良瀬橋から足尾の春を代表する"花の渡良瀬公園"の桜を、撮影しました。
(左写真:2007/09/16) (右写真:2011/04/28)
♦花の渡良瀬公園

(抜粋 : 現地案内板)
♦ 渡良瀬川発祥の地
 足尾銅山の深い歴史を共に歩んだ渡良瀬川、その名の由来は1200年の昔、日光を開山した勝道上人が修験の途次、この地に分け入り対岸に渡ろうとしたが、谷が深く流れが急なので、困っていたところ、ようやくこの辺りで浅瀬を見つけ無事に渡ることができたので、対岸の地を「渡良瀬」とし、川の名を「渡良瀬川」と命名したと伝えられている。
 以来、松木川と神子内川が合流する地点から下流を、渡良瀬川と称してきたが、昭和40年(1965)に渡良瀬川の起点は、松木川の上流に変更された。
日光市

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向原、赤沢エリア

足尾橋からの春風景足尾橋足尾橋足尾橋は赤沢と向原を結ぶ橋で、足尾中学校へも通じています。足尾橋架設は昭和25年(1950年)で、構造美のあるアーチ橋ですが、主たる部材は補剛桁で上路アーチ形式の逆ランガー橋です(上左右写真:2009/05/03)。上右の写真は足尾橋から渡良瀬川の新緑を撮影したものです。

足尾橋足尾橋 足尾橋の親柱には、ブロンズ製の "橋名板" が付いており、御洒落な字面で "あ志おばし" と表示され、今なお建造当時の趣を残しています(右写真:2008/05/03)。
 左の写真は橋の袂を通過中の "足尾まつり"山車一行の行列です(左写真:2010/05/03)。 

七滝橋七滝橋
  七滝橋は、足尾中学校下流のはちまん淵に架かる鋼製の吊橋で、昭和55年(1980年)に開通しました(写真:2008/05/03)。
  私の小学生時代に架かっていた当時の吊橋は木製で、時々通行禁止になるくらい危険で恐ろしい吊橋でした。それでも、通洞から向原までの近道として重宝したものです。
♦はちまん淵に架かる七滝橋

足尾小学校 足尾小学校渡良瀬川流域の中では、最も上流に位置する小学校です。現在は足尾で唯一の小学校ですが昭和30年代の最盛期には児童数1,500〜2,000名を数えるマンモス校だったそうです(写真:2007/11/17)。

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通洞、松原、砂畑、中才エリア

通洞大橋 通洞大橋 通洞大橋通洞大橋は、国道122号の足尾バイパスと旧道を結ぶ中路鋼アーチ橋で、1980年(昭和55年)に竣功しました。
 左写真の背景中央のX形状の物は、簀子橋堆積場です(左写真:2007/09/16)。
 右写真は足尾銅山観光内のトロッコ乗車待ちホームからの撮影です(右写真:2008/08/12)。

新規建造中の砂畑橋砂畑橋 砂畑橋左の写真の白い橋が現在の砂畑橋です。
 2010年3月25日に開通式が執り行われ、全長72メートル、有効幅員5メートル、もっとも多く見られる構造の桁橋です(左写真:2010/03/31)。
 右の写真は建造中の砂畑橋です(写真:2008/10/04)。

砂畑橋 右の写真は1963年(昭和38年)に竣功した旧砂畑橋です。構造は橋の格式を象徴する白い門構えのタワー(橋門構)のある、トラス補剛吊橋でした。写真は、その白い門構えのタワーが重なったベストビューポイントでの撮影です。
 背景の建物は "旧選鉱所"、山中には "有越鉄索塔" が見えます(写真:2007/09/02)。
 私の小学時代の記憶では、当時の砂畑橋(写真の橋の先代)は、木製吊橋で重荷重に耐えられないため、山神祭のときに、砂畑地区からは山車ではなくおみこしを出していました。

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遠下、切幹エリア

渡良瀬川第二渡良瀬川橋梁のある風景国道122号の足尾バイパスと旧道の合流地点に架かる橋から渡良瀬川の下流を覗いてみました。ちょうどわたらせ渓谷鐵道の列車が、第二渡良瀬川橋梁の上を、走っているところでした。
 夕日が沈む渡良瀬の川面に輝くスカイブルー、その影に沈むネービーブルーとが織りなす渡良瀬渓谷の風景です(右写真:2013/01/31)。
♦第二渡良瀬川橋梁
♦旧切幹橋から第二渡良瀬川橋梁

第二渡良瀬川橋梁の建造銘板       社会式株
 所船造島川石京東
 作製年四十四治明
    MATERIALS
CARNEGIE STEEL CO.
 P.& W.MACLELLAN


♦上の写真は、第二渡良瀬川橋梁の建造銘板です(写真:2011/03/30)。

 第二渡良瀬川橋梁・諸元
開通年月:大正元年(1912)12月13日
鉄道名・駅間:わたらせ渓谷鐵道 原向−通洞間
所在地:栃木県足尾町
河川名:渡良瀬川
橋長・単複の別:104.85m、単線
径間数・支間長:2×46.939m、 1×9.601m
形式:単線下路プラットトラス(ピン結合)、 単線上路プレートガーダー
「鉄(かね)の橋百選」 近代日本のランドマーク 成瀬輝男 編 からの抜粋

馬車鉄道石積み橋台跡馬車鉄道石積み橋台跡馬車鉄道の敷設が明治24年に着手され、翌年竣功しました。渡良瀬地区を拠点とする馬車鉄道のレールは、切幹地区南端で、渡良瀬川の左岸に渡り、原向駅前を通り、沢入まで敷設されました。
 その時の石積み橋台跡が、切幹地区の対岸に残っていますが、夏は草木に隠れ見えません(写真:2011/03/30)。

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原、唐風呂エリア

オットセイ岩オットセイ岩オットセイ岩から唐風呂地区の入口近くにオットセイの形をした岩があり、オットセイ岩と呼ばれています。川に迷い込んだオットセイがこの場所まで溯上して来たが戻れず、そのまま岩になってしまったという、言い伝えがあります。下流をじっと見つめ続けるその岩を見ると、私でさえしんみりとした気持ちになります。
(左写真:2010/04/18) (右写真:2015/08/23)
♦ オットセイ岩 : 唐風呂(からふろ)地区の入口付近から河原に下りられます。オットセイ岩の高さは2メートル8センチ。
♦花に囲まれたオットセイ

オットセイの形をした岩 唐風呂橋唐風呂橋から
  餅ヶ瀬川の流れが旧唐風呂橋と唐風呂橋を潜り抜け出るとすぐに渡良瀬川に合流します。左の写真は旧唐風呂橋から唐風呂橋を写してみました(左写真:2011/03/30)。
 唐風呂橋から渡良瀬川の上流をみてみましょう。ここからもオットセイ岩を見ることができます(右写真:2011/03/30)。

餅ヶ瀬川に架かる旧唐風呂橋餅ヶ瀬川に架かる旧唐風呂橋 掲載の写真は二枚とも唐風呂橋から旧唐風呂橋を写したものです。旧唐風呂橋は損傷が激しく通行はできません。
 旧唐風呂橋の架かる餅ヶ瀬川の上流に、餅ヶ瀬地区があります。
(左写真:2011/03/30) (右写真:2015/08/23)

渡良瀬川下流域の流れ足尾町下流域を流れる渡良瀬川の様子です。
(右写真:2015/09/22)
 写真のように真っ白な花崗岩で埋め尽くされています。すべての大きい石が、真っ白なのです。その大きな石の上で、エメラルドグリーンに輝く透き通った川面を眺めながら、列車の通過を待ちましたが、樹木に隠れて良く見えませんでした。
♦白い岩とエメラルドグリーンに輝く川面

トロッコわっしー号と笠松トンネルと笠松片マンプ笠松トンネルと笠松片マンプ馬車鉄道の敷設が明治24年に着手、翌年竣功しました。沢入まで敷設されましたが、県境の大萱山稜線の立ち塞がるかのような硬い岩盤を掘り進む工事は困難なため、川に面した岩盤の側壁をの形に削り取って、片トンネル(片マンプ)にして、馬車鉄道の軌道を敷設しました。
 その後トンネルが開削され、大正元年に足尾鉄道の営業が開始されました。当時、最も長いトンネルは県境に位置するこの笠松トンネルで、全長362メートルあります。
 上の写真は笠松トンネルに突入するトロッコわっしー号と、川岸の岩壁に今なお残る笠松片マンプ跡です(写真:2015/08/23)。
♦今も残る白い岩壁の、"笠松片マンプ跡"

取水堰から下流の渡良瀬川沢入発電所の取水ダム取水堰から
  左の写真は、沢入発電所の取水堰で、笠松トンネルの足尾側にあります。ここで取水された水は黒坂石ダムへ送水され、水圧鉄管路によって沢入発電所に送られます。
 この取水堰の背後の尾根は、足尾の南に位置する大萱山稜線の末端にあたり、県界尾根でもあるのです(左写真:2015/08/23)。
 右の写真は水量の少なくなった取水堰から下流の渡良瀬川の風景です。この辺りからは角の取れたさまざまな大きさの石が川底を埋め尽くす光景が見られます(右写真:2015/08/23)。
♦ 取水堰 : 川をせき止め、水を取り入れるための施設です。
♦ 栃木・群馬両県の県界 : 鉄道での県境は笠松トンネルの中間地点、自動車道では沢入トンネルの足尾口が県境になります。
渡良瀬川の県境は、自動車道と同じく沢入トンネルから群馬県側を流れることになります。

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 村上安正(1998)『銅山の町 足尾を歩く』随想舎
  • 『広報あしお 足尾の産業遺跡10 笠松に片隧道で通した軽便馬車鉄道』

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