岩壁彩る足尾の紅葉

中才にて 薄の群生、中才地区(写真:2015/09/22)

庚申山庚申山右の写真は、庚申山荘から30分程南下した尾根の鎖場を登りきった所にある "天下の見晴らし" と名づけられた展望の良いピークから撮影した庚申山です。
 手前左の山は "銀峯(1681m)" という馴染みの薄い山ですが、秋に織り成す岩壁と紅葉の景色は、男性的な足尾の秋色を演出します(写真:2010/10/23)。
♦"天下の見晴らし"からの眺望

神子内の紅葉庚申山 "足尾の紅葉は男性的だ。とくに崖の続く庚申山は、より男性的だ。" という訳で、庚申山の岩壁と紅葉をとくとご覧下さい(左写真:2010/10/23)。
 足尾には多くの川がありますがそのなかで最も親しまれている川は神子内川でしょうか。右の写真は、国道122号に平行して流れる神子内川での紅葉風景です(右写真:2008/10/25)。
♦庚申山の岩壁と紅葉

垂壁と黄葉パイオニア・プランツ松木川の急峻な山岳地形に散在する岩山を背景に、美しく黄葉したシラカバの群落がありました。
  崩壊裸地にいち早く進出して生育するこれらの先駆植物の存在が、足尾の紅葉が男性的な紅葉と言われる一因でしょうか(写真:2008/10/25)。
♦先駆植物(パイオニア・プランツ) :破壊地や崩壊地に最初に侵入して優占する植物のこと。樹種ではシラカバ、アカマツなど、草本ではススキなどがこれにあたります。

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秋の町かど

地蔵滝 通洞駅の線路脇秋澄む里左写真は、通洞駅から足尾歴史館に通ずる線路脇での秋描写です(左写真:2007/10/20)。
 日光側から日足トンネルを通過すると同時に足尾の秋が目に飛び込んできました。右写真は秋の地蔵滝です(右写真:2008/10/25)

古河掛水倶楽部の白樺の木 古河掛水倶楽部とツタ掛水倶楽部古河掛水倶楽部の高く積み上げられた土台柱の白色と、シラカバの黄葉した色の組合せで、秋の爽やかさが感じられます(右写真:2007/10/20)。
 建物の白色と、ツタの赤色の対比が素敵です(左写真:2007/10/20)。

掛水倶楽部 右の写真は、煉瓦造の外壁の色合いとツタの緑色の対照色相の調和が美しい、掛水倶楽部倉庫の外壁です(写真:2007/10/20)。

ツタの鮮やかな紅葉新梨子油力発電所足尾の小さい秋を見つけたくて、砂畑地区から通洞地区に散策しました。途中、新梨子油力発電所の柵にツタの紅葉を見つけました。ツタの紅葉の持ち味は鮮やかな赤色ですが、それとともに葉の緑や黄の斑がツタの紅葉の風情をも演出しています(写真:2007/10/20)。
♦"新梨子油力発電所"にて
♦"赤蜻蛉と、にらめっこ" 新梨子油力発電所にて

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柿の実と七滝橋柿の実と七滝橋私の小学時代に架かっていた はちまん淵の七滝橋は木製の吊橋で、時々通行禁止になるくらい危険で恐ろしい橋でした。それでも、通洞から向原までの近道として重宝したものです(上写真:2011/11/01)。

(旧)古足尾橋小滝地区庚申ダムを右手に小滝路を進みます。まもなくして 古足尾橋のたもとに到着します。
  下流には昭和9年架設の (旧)古足尾橋が現役は退きましたが現在も庚申川に架かっています。この歴史あるアーチ橋の構造美も、庚申渓谷の紅葉美を引き立てています(右写真:(旧)古足尾橋:2009/11/08)。
♦ 古足尾 (こあしお): "小さな足尾"という意味に由来する地名。昭和29年(1954)に小滝坑が廃止になるまでの間、商業地として賑わった。

小滝川六号ダム小滝の里裏山 上記 "古足尾橋"を過ぎて道が右にカーブしているあたりの左手に、平成3年10月完成の小滝川六号ダムがあります。
 紅葉とエメラルドグリーン色したダム湖の中に立つ枯れ木の光景は、なぜか寂しさが感じられました(右写真:2009/11/08)。
 左の写真は "小滝の里" の裏山の秋風景ですが、庚申川を挟んだ対岸、 "南夜半沢鉱夫社宅跡" からの撮影です(左写真:2008/10/04)。
 樹木豊かな山麓にはその昔、小滝選鉱所(大正9年廃止)がありました。現在は小滝公園として整備され、小滝坑、住居跡、火薬庫跡などから改めて当時を思い起こすのみです。
♦晩秋の小滝川六号ダム
♦小滝川ダム
♦水ノ面沢 (みずのつらさわ)

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簀子橋の秋露頭のある風景朝霧に包まれた幻想的な秋の風景です。渋川の左岸にある"露頭"にかかっていた霧が無くなった瞬間にシャッターを切りました。後方は、簀子橋(すのこばし)堆積場です。
(写真:通洞大橋から:2008/10/25)。

中倉山 足尾では露頭のある風景が数多く存在しますが、これらの存在が足尾の紅葉が男性的な紅葉と言われる一因でしょう。
(写真:中倉山南面:2009/10/12)

中倉山 足尾の秋は、はなやかな山の装いのなかにも、男性的な雰囲気が漂います。
(写真:中倉山南面:2009/10/12)
♦ 露頭:植生や表土がなく岩石や鉱床が露出している状態で、足尾では他にも多数存在する。
♦中倉尾根の一本のブナの木

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ススキ輝く山の里

薄戦く山の峰

『足尾の四季』
作詞作曲:青山勇
補曲:関根寿美子

 "薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く 月中天に秋深し"
(すすきおののくやまのみね だつりゅうとうのかげくろく つきちゅうてんにあきふかし)

植物遷移写真は歌詞の風景さながらの秋の一コマです。植物遷移から見ればススキ草原は草原としては、ほぼ最後の段階に当たります。次はススキ草原にアカマツなどの樹木が侵入して、次第に森林へと変化していきます。ここのススキ原も一歩ずつ森林に変遷するでしょう。写真は備前楯山(有越山ルート)登山途中での風景です(写真:2007/11/17)。
♦ 植物遷移: 裸地⇒草本⇒陽樹林⇒陰樹林(極相林)。裸地に先駆植物が進出し極相林が成立するまでの変遷のこと。

ススキと通洞大橋ススキ通洞大橋を背景に、風になびくススキの穂(写真:2007/10/20)。秋の象徴ともいえるススキ。ススキがあるだけで秋が演出できます。
 掲載の句は飯田蛇笏が昭和8年に足尾銅山に来山した時の作品で、句会会場は泉屋別館でした。
 "鑛山に宿かる園の芒かな" 蛇笏
 蛇笏は足尾来山時の状況を紀行文に綴って「癸酉紀行」と題し、「雲母」に掲載しています。
♦飯田蛇笏:明治18年〜昭和37年(1885〜1962)。
昭和8年10月、足尾来訪(足尾線⇒通洞駅⇒泉屋別館⇒通洞坑内見学⇒本山坑口⇒泉屋句会。豊潤洞訪問と句会。深沢入口⇒七曲がり経由⇒半月峠⇒中禅寺湖畔)。

薄戦く山の峰薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く・・・(写真:2013/10/14)

田元にて
♦ススキの茂る踏切

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 太田貞祐(1997)『足尾銅山 俳壇史』ユーコン企画

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