通洞駅(つうどうえき)

通洞駅通洞駅 通洞駅わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線の駅で、栃木県日光市足尾町松原13番地にあります。
 大正元年(1912)に、足尾鉄道通洞駅が開業しました。
 駅名の"通洞"は、地名の"通洞"から、名づけられたのでしょう。地名の"通洞"は、鉱山用語だそうです。私の小学時代、通洞地区と砂畑地区の近道として通洞坑の左に位置する坑道を時々利用していました。このように当時の通洞地区では"通洞"と言う鉱山用語が身近に存在していました。(左写真:2007/10/20) (右写真:2010/11/07)
♦通洞 : 鉱山で運搬•排水を集中して担う最も重要な坑口坑道のこと。
♦夏の夜の通洞駅
♦プラットホームからの通洞駅

本山小学校講堂 木造平屋の駅舎は、柱や梁が壁の表面にむき出しになった木組みの様式で建てられ、山小屋風の独特の外観を形づくっています。他にもこのような木組みの様式で建てられている建物が、間藤にもあります。それは昭和15年(1940)に建設された本山小学校講堂です。当時、小学校の講堂という建物は大変珍しいものだったそうです(写真:2008/01/04)。
♦通洞駅を発車したトロッコわたらせ渓谷号
♦トロッコわっしー2号と通洞選鉱所

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駅からの散歩道

通洞大橋 銅山観光銅山観光足尾銅山観光は通洞大橋のたもとにあります(左右写真:2008/8/12)。
 見学はトロッコ列車に乗り、坑内へと入ります。この銅山観光を見学すると、足尾銅山の歴史や鉱山の内容、とくに坑内作業を理解することができます。
 足尾銅山400年の歴史において、堀り開いた坑道の長さを合計すると1234km(東京 • 博多間)に達するそうです。深さは備前楯山頂付近から約1100mまで採掘し、粗鉱を搬出しました。
♦粗鉱(そこう): 鉱山から採掘されたままの鉱石(銅品位約1.5%)。
♦品位: 鉱石中の有用鉱物•金属の含有率。

上左写真のトロッコについて、現地案内板からの抜粋
♦ 「足尾A型」古河鉱業(株)足尾製作所小山工場製造
主要坑道で使用され、1屯角坑車25両を牽引しました。閉山まで活躍し、残る最後の1両です。
♦  「1t角鉱車」鉱石を運搬するために使用していた鉱車で、約1トンを積載する能力がありました。また、坑内労働者もこの鉱車に乗って坑内へ向かいました。

銅山観光 銅山観光 通洞坑と山の神昭和48年 (1973) 2月24日の "通洞坑"(国指定史跡)閉山式当日は、雪が静かに降り続いたそうです。そして、その日を境に坑口を出入りする坑夫の姿は途絶えました。
 しかし、足尾銅山観光のオープン(1980年)以来多くの人たちが訪れています(左写真:2008/8/12)。
  私の小学生時代は通洞地区と砂畑地区の近道として通洞坑の左に位置する坑道を利用していました。
  通洞坑入口の右上には山の神が祭られています(右写真:2008/8/12)。
♦ 坑内 (通洞坑)

(現地案内板の一部引用)
 通洞坑(つうどうこう)
明治18年(1885)開坑に着手し、11年の歳月をかけ本山坑と貫通させ、足尾銅山の大動脈となった。昭和48年閉山となり日本最大の銅山は歴史を閉じた。 日光市

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狛犬 通洞鉱山神社 通洞鉱山神社
  通洞鉱山神社(つうどうこうざんじんじゃ)は銅山最盛期の頃の大正9年(1920)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営され、以後、山神祭も盛大に行われたそうです。
 ここの狛犬は当初、簀の子橋(すのこばし)山神社にあり、通洞鉱山神社造営のときに移されました。この狛犬は寛保3年(1743)に彫られましたが、その歴史を感じさせない現代っ子的な愛敬のある顔の持ち主です。
 私の小学生時代、この境内でかくれんぼなどをして遊んだものです。
(左右写真:2007/10/20)
♦鉱山神社の狛犬

(現地案内板の一部引用)
♦ 通洞鉱山神社(つうどうこうざんじんじゃ)
足尾銅山の本山坑、小滝坑、通洞坑の三山にそれぞれ山神社が建てられた。当神社は銅山最盛期の頃の大正9年(1920)に鉱業所がこの地に移設されたとき造営され、以後、山神祭も盛大に行われた。通洞坑の開発は明治18年に着手されたが、それまで足尾銅山発祥地の簀の子橋山神社を祀っていた。 日光市
♦ 狛犬(こまいぬ)
愛敬のある独特な顔のこの狛犬は、寛保3年(1743)に彫られ簀の子橋山神社にあったが、大正9年、当神社造営のときここに移された。 日光市

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ガソリンカー足尾郷土人形「山の神」 足尾歴史館足尾歴史館は通洞駅から歩いて数分の所にあります。
 駅からは、おもいでのこみちの看板が、道しるべになります(右上写真:2007/10/20)。
 館内ではスタッフの方々から足尾の歴史を説明していただきました。展示されている足尾郷土人形山の神は、郡司敏夫氏手作りの作品で、個性と品位が漂います。
(左写真:2008/5/3)

ガソリンカー明治時代に始まった馬車鉄道による町内輸送の、次の時代の担い手として、ガソリン機関車が導入されました。
 "ガソリン(カー)"、または"定時"とも呼ばれ、大正15年から貨物や人の輸送手段の主流となって運行されました。
 私の記憶ではガソリンカーが脱線した時は、長い木材をてこにして車輪を持ち上げていました。年月がたって昭和28年にはトラックやバスに運行業務を譲り、27年間の長い歴史に終止符が打たれました。
 足尾歴史館プロジェクトチームの皆さんにより、その"ガソリンカー"が2009年8月に復元されました。右中写真はガソリンカーの運転室内で、舵取り装置のようなまるい物は手動式ブレーキのハンドルです(写真:2009/11/08)。
 右下写真はボンネットを開け、エンジン部分を撮影したものです(写真:2009/11/08)。

カンテラ カンテラ私の小学生時代(昭和34年頃)に、境内裏で飛び降りて遊んだ石垣が、今も変わりなく存在しています。当時は、その土手の芝の上に、白いカーバイトの燃えカスが点々と放置されていました。その中の、わずかに燃え残ったカーバイトに水をかけ、ガスを発生させて遊んだものです。
 カーバイトカンテラは明治末期(〜大正初期)から昭和35年ころまで使用されたそうです。写真のカンテラは「足尾歴史館」展示品です(写真:2008/08/12)。

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道端に残る文化遺産

鋳銭座跡鋳銭座跡通洞駅を中心とする旧道沿いには商店街が立地し、その一角に鋳銭座跡碑(日光市指定文化財)があります(右写真:2008/01/04)。
 寛保2年(1742)7月からの鋳銭枚数は2億1千万余で、鋳銭座の場所は、現在の中央グラウンド周辺だったそうです。

足字銭 寛永通宝は、江戸時代 幕府の公鋳貨として1634年から幕末までの230余年にわたり、全国各地で造られました。そのうち足尾で鋳造された足尾銭は裏面に「足」の文字が刻まれていることから、通称足字銭と呼ばれています(右写真)。
 尚、お金のことをおあしと言うのは足字銭(1文銭)が語源とも云われていますが、この鋳造枚数の多さからしても、納得できます。

‹ 足尾銅山観光内鋳銭座案内板の抜粋 ›
 1741(寛保元年)足字銭鋳造開始
寛保元年より5年間足尾に鋳銭座を設けて寛永通宝二千万枚鋳造
 おあし : よく、お金のことを 「おあし」 といいますが、どこからこういわれるようになったのか、色々な説があってはっきりしません。足袋(たび)の文数を表す基準となった寛永通宝の1文銭で足をはかったからという説、お金は足がはえたように出てゆくことからという説、また、足字銭の足をとったと考える古銭研究家もいます。

足尾町道路元標足尾町役場道路元標
 道路元標は、道路の起点、終点、または経由地を標示するために、大正8年(1919) 公布の「道路法」、「道路法施行令」により、各市町村に一個置くことが義務づけられました。
 足尾町の道路元標は、旧足尾町役場前に立てられ、表面には "足尾町道路元標" の文字が、裏面には "栃木縣" の文字が刻まれています(右写真:2013/08/28)。
 足尾町の道路元標が足尾町役場前に設置されたのは、当時の主要路線である府県道日光足尾線と足尾大間々線との分合点になっていたことによると思われます。
  その道路元標の奥に建つ建物が、足尾町役場(旧日光市役所足尾総合支所) です (上左写真・上右写真:2013/08/28)。
 昭和37年(1962) 竣功のこの旧庁舎は、平成25年(2013) 8月竣功の新庁舎に業務を引き継ぎました。
♦私が道路元標に興味を持ったのは、内山謙治氏の著書 「道端に残る原点」 に出会ってからです。著書によると当時の栃木県の市町村総数は176ですが、現在、県内に道路元標が現存している例は極めて少なく、大部分は道路のバイパス化や拡幅工事等により姿を消したようです。
 下記に当著書のエピローグの一部を紹介します。

「道端に残る原点」
— 大正期に立てられた街道の文化遺産 「道路元標」を探る — (2001年出版) 内山謙治 著
‹ 抜粋 ›
エピローグ
 道路元標が設置されて以来80年近い歳月が経っている。その間、元標の存在意義が失われ撤去されたものもあって人々の記憶から離れてしまい、関係機関に問い合わせても道路元標に関する文献や資料が皆無の状態で、その存在を知る関係者もほとんどいなくなってしまった。(中略)
(中略)砂ぼこりや排気ガスを浴びせられても風雪に耐え忍びながら行き交う車や人々を見送ってきた道路元標の余生はあまりにも寂しい。変貌の激しい道路、その現実を見つめて立ち続け生き抜いてきた道路元標に 「街道に残る貴重な文化遺産」 という称賛の号を与えてやりたい。(後略)

♦上記著書に掲載の、大谷村道路元標を訪ねました。その説明板の写真を載せておきます。道路元標について簡潔に記されており、参考になります。

大谷村道路元標説明板♦ 大谷村道路元標 説明板 ♦ (写真撮影:2013/09/09)

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◎ 本ページの作成に当っては下記文献を参考にさせていただきました。記して深謝申しあげます。
  • 新井常雄(2001)『足尾銅山写真帖』随想舎

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